2007 1115-


1130 Fri.

米国株ライブトレードセミナーのライブWATCHも残すところあと2日となった昨夜のマーケットは、薄いギャップダウンで開始。

始まる前は予断を許さない難しい展開になると思っていたが、始まってみるとわかりやすいリバーサルで上昇。

アタマでいきなり3銘柄同時ロングという暴挙で見事、カタををゲット。

あとは事前チェックで予測したFSLRがレジスタンスブレイク。事前チェックでも株価の割りにはギャップが薄く、典型的な30分ギャッププレイ狙いのパターンと書いたが、見事に狙い通りの展開となり、セミナー会場は強い上昇でヒートアップ。

毎日こうだといいねと、おいしい展開に全員ホクホク。FSLR以外は15分で終わってしまったあっけないマーケットでした。

ナスダック総合指数は、20MAをテストする位置まで上昇。

さて今夜はどうなるか?楽しみだ。

 

鎌田氏が執筆されているコラムで、時々大笑いをすることがある。最近印象に残ったのはこちらにあるWall Street English での炸裂するジョークだ。

ジョンさんが語る正しい予想のしかたは含蓄を含んだ面白い記事だし、こちらにあるように、面白くウィットに富んだものも多く、私も何を隠そう隠れたファンの一人だ。

これだけのレベルのコラムが日本語で読めるこのコーナーをチェックするのが、私の毎日の楽しみの一つとなっている。


1129 Thurs.

米国株ライブトレードセミナーのライブWATCHの3日目となる昨夜の米国マーケットは、大きめのギャップアップで開始。恐怖心を克服するためにはどんどんエントリーして、逆に動いたらカットロスをする練習を重ねることだ。

マーケットはロングサイドへジリジリと上昇して、どの銘柄もそれなりに動く結果となったが、こういうときはとにかく高値ブレイクの AMZN や SPWR に乗ることだ。

セミナー会場では、どうしても入れず見ているだけだった、という方も多かったようだが、とにかくどういうときにはどのように動くのかと言うことを、実際のマーケットを見ながら経験を重ねることが大事だ。

朝起きてみるとナスダック総合指数はワイドレンジの陽線となっていたが、どうやらこれでボトムを打ったようだ。

さて今夜のマーケットがどうなるか楽しみだ。

 

1127 Tues.

ネットが変える価値観

英国の人気ロックバンドの新アルバムが12月3日から日本でも、ユーザーが買いたいと思った価格でダウンロード購入できるようになるという。

詳細は下記を参照していただくとして、これはネットが影響を与える当然の変化の一つだろう。

レディオヘッドを聴けばわかる音楽業界・ダウンロード違法化論の不誠実

相互の関係がオープンになることで、そこに関わる人たちがお互いにフェアな利益を分け合うという、ネットの持つ特性を生かした動きというのは、これからもますますいろいろな方面に影響を与えるはずだ。

トレードの世界もまた然り。

私がネットを使い始めたときに先ず考えたことは、トレードの方法をシェアするという考えだった。

すべてのトレード手法をオープンにすることで、その手法を使って自分の生活を向上させることができるからだ。 

現にWEBサイトを見るだけで、利益を出すことができるようになり、シアトルへ移住してそこで生活をしている方もいるわけで、魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるという考え方は、これからますますその価値を高めてゆくだろう。

 

 

1126 Mon.

タイトな一週間が進行中

昨夜は、今年最後になる米国株ライブトレードセミナー。月1万ドルプレイヤーへ成長された方から、現在苦戦中、あるいは始めてトレードにチャレンジされる方などの参加で定員一杯のセミナー。というわけでリキが入る。^^

サポート担当の I 嬢(左)と、月1万ドルプレイヤーの仲間入りをされたT氏

今回都合で社長は急遽来日できなくなったが、ノースウェストトレーディングファイナンシャルグループのサポートを担当されている I 嬢もリアルティックというソフトの使い方の研修を兼ねて参加されている。

マーケット開始前の恒例となっているワインブレイクでは、旨いシャンパンでカンパイのあと、ハイテンションな雑談モードへ突入。(笑)

ライブトレードセミナーのハイライトであるライブWATCHの初日は、ネットエイドの実況を聴きながら、それぞれのご自分のディスプレイでチャートを追いかけ、執行するというプログラム。 

マーケットは幸先よくギャップアップで開始。直後の動きこそ渋かったが、その後は順調に上昇する強いマーケットとなったが、ほぼ15分で「おいしい」時間帯は終了。

始めて参加された方は、アレよアレよ、という間に終わってしまったという印象を持たれたはず。

マーケットの詳細は、「終わってみると陰線?!」と「ギャッパーズアイ」をご覧あれ。

初日はどうしてもソフトウエアの使い方が慣れないことが多く、ガイドについて行くのが精一杯という状態になりやすいのだが、さて最終日の五日目金曜までの間にどれくらいの進歩が見られるのかが楽しみ。

朝は東京マーケットでのネットエイドと、夜はセミナーとネットエイドというスケジュールという、いわゆる最大負荷状態での一週間となるわけだが、さてどうなることか。

 

 

1126 Mon.

静かなる変革

使用開始後1年4ヶ月後レポート」では交流磁気治療器について書きましたが、特に頭部へは枕の下からと、頭頂部から睡眠中に磁気を照射する状態で、一年以上連続使用してきました。

使用していない状態との直接の比較が不可能なため、こうした連続使用がどのような効果をもたらしているのかはよくわかりませんでしたが、明らかに効果があることは、自分の内なる感覚がはっきり、物語っていました。

そしてさらに「ブレイン・マシン2」や「ブレイン・マシン」で書いた「パルパルス」も現在は併用しています。


こうしたものを使い始めてからの変化を、自分の生活の変化と照らし合わせると、とても興味深い事実が浮かび上がってきたのです。

それは物事が自分の望んでいた方向へ、ゆっくりと着実に動き始めていることが実感できるという点です。

体のコンディションももちろんなのですが、自分の生活そのものが望んでいた方向へ明確に変化していることを感じるのです。

具体的には、引っ越しをはじめとした住環境の変化が、その最も顕著な例なのですが、こうしたものを頭部に使うことに関して、当初から絶対に安全であるという確固や証拠はありませんでした。

ですが、以前から機会があれば試してみたいとは考えていたのです。

というのは、人間の脳にはまだ発見されていない未開発の発達能力があることを確信していたからです。

脳の発達を促すとされているマシンのほとんどは、われわれがその気にさえなれば、現在入手することができるものばかりです。

ですがそれらの多くは「ストレス軽減」のための機器として宣伝され、販売されています。

というのは、政府や公的機関の規制があるために、そうしたマシンのメーカーには「治癒や医療効果を主張することが許されていないからです。

ですが実際には、そのほとんどが治療用機器として用いられ、様々な疾病の緩和に効果的であることが、多くの事例から知ることができます。

ではそれは一体どういうメカニズムが働いているのでしょうか?

 

神経解剖学者、マリアン・ダイアモンドは高質化遺伝:環境が脳の構造に及ぼす影響 (Enriching Heredity : The Impact fo the Environment on the Anatomy of the Brain)に研究の成果をまとめています。

ダイアモンドは著書の中で「何歳の脳であろうと、環境により変化する」ことを確信したと述べています。

ダイアモンドの研究室では、多くの刺激を含む環境は、大脳皮質だけでなく、感情や記憶と関係のある大脳血縁係を成長させるという証拠を見つけています。

刺激の多い環境で育ったラットは、海馬(長期記憶の形成、呼び出しに重要な役割を果たし、アルツハイマー病に関係ある部分)に新しい細胞をつくり出したのです。

受胎したラットを、刺激の多い環境に置いたところ、その母親から生まれた子ラットの新皮質は明らかに厚くなります。

その子ラットたちの父親も、刺激の多い環境に置かれたのですが、こうしたサイクルを繰り返すと、刺激の多い環境に置かれた親たちから生まれた、次の世代のラットたちは皆、大脳皮質がさらに厚くなったのです。

さらに、日本で行われた研究でも、刺激の多い環境に置かれた母ラットから生まれた子ラットは、標準よりも刺激の少ない環境、あるいは標準の環境に置かれた母親から生まれた子ラットより、迷路の学習に優れていることが報告されています。

このような特性は、母親を妊娠期間中に刺激の多い環境に置くことによって得られたものであり、新生児期の環境によるものではないということになります。

また、イリノイ大学の最近の研究結果では、刺激の多い環境に離乳後30日間置かれたラットのシナプスは、他のラットたちよりも明らかに多く、その後さらに20日間同じような環境に置くことで、シナプスの数は増え続けたのです。

スタンフォード大学のロバート・サポルスキーは、ラットの実験で、幼年期に感覚刺激を受けると、ストレスに対してブレーキが急速にかかり、ストレスによる脳内のニューロンの損失を防ぐことが可能になることを発見しました。

脳への刺激が神経の発達を促し、脳能力を増大させるということは、このように次々と証明され、脳は長期間、学べは学ぶほど、樹状突起の長さは長くなるということもカリフォルニア大学の神経学者により、明らかにされています。


つまりブレイン・マシンを使うことで、自らの脳を刺激することで、意識的にコントロールすることができるのはないか?

これがこうしたブレイン・マシンを積極的に使うきっかけとなったのです。

理論的には、適切なマシンさえあれば、脳を刺激することによって、脳に関連した能力を発達させることができるのですが、実際に一年半に渡る継続的な使用という自らの人体実験によって、明らかに効果があるという手応えを掴んだのです。

目には見えない脳への刺激が、少しずつの変化を促し、それが毎日の思考に影響を与え、やがて徐々に自分の周りの現実を変えてゆくという体験ができるとは、当初夢にも思っていませんでした。

過去の日記を時系列で追うことで、「あぶり絵」のように浮かび上がってきたこうした事実は、私にとって本来なら「驚愕」とでも表現したい「出来事」だったのです。

 

日記の一部は1986年に米国でベストセラーになった「MEGABRAIN」を引用再構成しています。

 

 

 

1124 Sat.

ネタがないときの対処法

こういうメールをいただきました。

「自分の好きなもの、興味があることを取り上げていたら、すぐにネタがつきてしまいます。いつも同じことを書いていると飽きるので、たまには違ったものを書こうとするのですが、うまくいきません。

たくさんの人に自分の日記を読んでもらうためには、流行っていることや話題になっていることを取り上げるべきでしょうか。たとえばボジョレヌーボーをネタに書けといわれても、スラスラと書くことができないのです。

書けないからと諦めるのではなく、資料を集めたりして何とか書くべきなのでしょうか。いざ書こうとすると、すぐに書けるようなネタがないのです。日記を書く姿勢としてどうすればいいのかヒントがあれば教えてください。」


同じことばかりでは読む人が飽きるだろう、違うものを書こうと考えたということは、客観的な見方をしようという、書くことを上達させるための大きな一歩を踏み出されたということになります。

主観的、客観的をわかりやすくいえば、と自分が他人をどう見るかという目線が主観であり、客観的というのは、周りが自分をどう見るかということです。

日記が客観的な表現ではなく、主観的であっても、表現したことに対しては、日記ではコメントという形で周りから反応が返ってくるはずです。

コメント一つ一つが自分の主観に対する、一つの答えなのだと考えればわかりやすいでしょう。

こうしたことを認識したうえで、主観的なものを再び投げかけるという方法で日記を書くという方法があります。

これを繰り返すことで、主観と客観とのギャップが少ない見方ができるようになり、それが文章に反映されることで、文章の質が向上してゆくわけです。

 

自分の好きなことだけにこだわり、より多くの文章を書くということを考えなければ、限界にぶつかったり悩んだりすることはないはずです。

文を書くというのは、その人が持っている情報をどのように料理し、どのように盛りつけるのか、ということなのです。

ですから、同じことをテーマににしても、料理の方法や盛りつけ方で面白い日記と、面白くないものに分かれることになります。

ネットでは、簡単にコピーペーストできるため、同じようなテーマや情報がどんどん増え、話題が「かぶる」ことが多くなります。

今旬の話題といえば「ミシュラン東京」ネタだと思いますが、行きつけの美味しい店という自分なりのオリジナルミシュランを持っている人は、こうした本に頼る必要はないわけです。

日記も同じ事で、だからこそ大事になるのは、おいしさのわかる味覚であり、それをもとにして独自の味付ができる料理人の腕なのです。

他人の情報を集め、編集でいくらセンスよくまとめても、独自の味付がなければ、どこへ行っても同じ味のするファーストフードと同じことになります。

その人の体験というフィルターを通り、無意識に働く意志によって出てきた言葉が、心を揺さぶるのです。

こうしたことができるようになると、身の回りで起こったあらゆることをネタにすることができます。

いつでも一つや二つ書くことが浮かぶはずで、ましてや、毎日自由に生活をしていれば、書きたいことが湧き出てくるはずなのです。

 

そのためには、本当に「自由」である必要があります。

組織に拘束されることなく「自由」に生きている人なら、多くの人がやりたくてもできない「自由な生活」の中で生きてきた年齢分の体験や、感じたことだけを素材に書けるはずなのです。

時間がないから書けないというのは、誰かに自由な時間を拘束されているか、それができないような環境に自らを縛り付けているかのどちらかなのです。

組織に属していても、自由になる方法はあります。

精神状態も自由で、時間も自由になれば、文章を推敲して、よりブラッシュアップすることができるはずです。

そうしたプロセスを繰り返すことで、自分だけの新しい文章としての味が加わり、読み手が「美味しい」と感じる文章になるというわけです。

こうした方法で書くことができれば、資料などを躍起になって集める必要はなくなります。



もう一つの方法は、自分の得意な分野で書き続けることです。

ほとんどの人は、人より詳しいという自信を持っている何らかの「ある特定の分野」をお持ちのはずです。

ですから得意分野である「ある特定の分野」について書く方を選択することになります。

いわゆる知識の蓄積で読ませようとするわけです。

ですが、知識というのは量の競争という勝負になるため、日本一や世界一を争うレベルにならないと面白くないものなのです。

特に日本のテレビはこうした方向で、制作費を使って毎日大量の知識を垂れ流しています。

ですから、それを見ていると思われる大多数の人は、こうした方向性の文章を読んでも、それほど面白いとは思わなくなってしまっているのです。

 

何より書いている本人が、面白いと思って書いていない場合、それが文章を通じて読む人に伝わることになり、最初だけは勢いがあるのだけれど、何となく尻切れトンボになっている、という日記になっていたりするわけです。

自分の好きなもの、興味があることを取り上げていたら、すぐにネタがつきてしまうというのは、表層的な上っ面を見て書いているためで、自分の内面と向き合って書くということをしていないからです。

テレビで垂れ流されている多くの番組は、視聴者に媚びて視聴率を上げることを目的にして製作されています。

当然予算があるため、一定の範囲で足切りされることになり、それが中身の薄く面白くない印象へと繋がっているのです。

映画でもそうですが、制作者自身が、本当にやりたいことがあり、自身の内面と向き合って製作された作品というのは、誰が見ても面白いと感じるものなのです。

 

このように、本来本当に自分の好きなことであれば、文章の場合、無尽蔵に書けるはずなのです。

私は自分の好きなトレードに関することを自分のサイトで、毎日欠かさずここで書く量の何倍も書いていますが、それでも書くことに事欠くことはありません。

そうなると、流行っていることやニュースになっていることをテーマに書かなくても、困ることはなくなります。

つまり最も簡単なのは、自分の好きなことを書くことなのですが、話題になっていることや、みんなが関心を持っていることを使いたいのなら、そのきっかけとして使うことです。

自分の好きなことを書こうが、周りのウケを狙おうが、きっかけは何であれ、大事なことは、最終的に料理され盛りつけられたものが、そこでしか食べられないおいしいものになっているかどうかです。

リピーターの多い料理店へは、美味しいからこそ、一度食べた人は何度でも足を運ぶのです。

料理されたものが自分自身の体験をベースに書くことを続けていないと、煮詰まることになり、いずれ書くことがなくなるという事態に遭遇することになります。

煮詰まってまずくなった料理ではなく、フレッシュな味付けの料理を出せるかどうかは、本当に美味しい料理を食べ、自分の味覚を研ぎ澄ませているかどうかに、かかっているのです。

 

 

1123 Fri.

23日夜の米国マーケットは、通常より早く終了します。

日本時間で、午後11時半から午前3時までです。

コンディショナルオーダー等を設定する際は、気をつけてください。

 

1122 Thurs.

モテる会話術・実践篇

誉めるというのは、相手をよく観察し、そこから糸口を掴まなければなりません。

そのため誰にでも、明日からすぐにできるというワザではないので、今日は別の切り口から攻めてみましょう。

要は女性をいい気分にさせればいいわけですが、そのためには、まずは「言葉」でそれを実行する必要があるわけです。

触っていい気持ちにさせるというのは、そのアトですね。^^

 

まず大事な点は、相手を笑わせるという点です。

吉本などのお笑い系タレントが次々と美人と結婚していることからも分かるように「笑い」は女性の心のガードを解きほぐすためにはとても効果があります。

面白く楽しい人には、男女を問わず人が集まってくるものです。

「笑わせる」といってもTVでお笑いタレントがやっている、自分や他人の容姿をネタにした自虐や他虐による笑いは、逆効果。

そもそもがこうした笑わせ方は、かなりレベルの低い方法なのです。

TVではお笑いタレントの同業者同士で、しかも観客の笑い声を被せるなどの仕掛けがあるため、笑えるかも知れません。

ですが現実に知り合い同士でこれをやると「心ある人」にとっては不愉快きわまりないものに映ることがあるということは、覚えておいても損はないでしょう。

 

こうした間違いを避けるためには、常にユーモアを忘れないことです。

ユーモアを持ち合わせるというのは「真面目」一本槍の人には、かなり難しいことかもしれません。

ですが基本は相手の立場になって考え「その言葉で、相手がどういう心理状態になるのか?」についての想像力働かせることなのです。

では具体例を挙げてみましょう。

 

ある店に、お気に入りの売り子がいるとします。

まずは話すきっかけが必要になるので、そこに「置いていないモノ」の売り場を訪ねます。

定番の方法なのですが、できればちょっと変わったモノがいいですね。

何故それを探しているのか、などという点に工夫を凝らすと成功率は高くなります。

最初の会話で警戒心を持たれたり、怪しいと思われないことが大事なのですから、この場面での奇抜なアイデアは不要です。

 

そしてついでに、その娘のヘアスタイルをさりげなく誉めるのです。

場合によっては「そのピアスあるいはネックレスをどこで買ったのか?」というのもありです。

妹があなたのようなようなヘアスタイルをうまくやってくれる美容院がどこかないかと、探していたことを思いだしたので聞くのだが、差し支えなければ教えて欲しい。

あなたのその髪型がとても良くお似合いで素敵なので、いきなりで失礼だが、ついこういう事を聞いいてしまったのですが、気を悪くしないでくださいね。

と釘を刺しておきます。

もしそこでの相手の反応が良ければ、さらに話を進めます。

 

「俺も行ってみようと思うのだけれど、男でもやってもらえるかどうか?」と聞くのです。

ほとんどの美容院は男でも大丈夫なのですが、そんなことは知っていたとしても、あえて聞いてください。

彼女は「この人は美容院へは行ったことがないのかな?」と思ってくれるかもしれません。

そしてここが大事なポイントなのですが「ボクでもそこの美容院へ行けば、少しは二枚目になれるでしょうかね?」と少し三枚目っぽいニュアンスで聞いてみるのです。

ここで少しでも彼女が笑うとか微笑むとかすればOKです。

ですが、そうした様子が全く見られなければ「話し方が悪い」あるいは「空気が読めていない」と思って間違いありません。

しかしほとんどのケースでは、彼女が笑うとか微笑むとかの反応があるはずですから、そこで「ボクがその美容院へ行くのは変ですかね?」などと話を展開させてゆきます。

ただし、相手の反応がいいからといって、調子に乗って行き過ぎないように、気をつけてください。

 

反応が良くなければ「俺も行ってみようと思うのだけれど・・」というところから先ははやめて、立ち去ってください。

そして実際にその美容院へ行き、髪を切ってもらうなりしてから、数日後に彼女の店を訪れます。

そしてお礼が言いたくて来たことを告げ、自分も気に入って、その美容院へ行ってきたことを話すわけです。

「二枚目になったか?」などと場を和ませながら、誠実な態度でお礼を言います。

慎重にことを進めたいのなら、一旦そこまででやめておきます。

そして2週間ほど空けてからまた美容院へ行き、再び髪を切ってもらうなりしてから、また彼女の店を訪れてください。

そして再びお礼が言いたくて来たことを告げます。

そして反応を見ながら本命である「実はこの間、こういう店へ行っったんですけどね、それがとてもおいしかったのす。で、もし迷惑でなければお礼がしたいので・・・」というハナシを切り出すというわけです。

 

この時点で「いい顔」をされなければ、相手に脈はないわけですから、あきらめてください。

気をつけなければならないのは、最初からあまり「馴れ馴れしい口調」で話さないと言う点です。

態度は誠実に、でも笑顔で楽しそうに話すのがポイントです。

さらには、話の展開をどこまで進めるのかという点も、慣れないと難しいかもしれません。

ですが慣れてくれば、自然に話せるようになりますし、相手の反応を冷静に判断することができるようになります。

このパターンは比較的簡単ですし、バリエーションとして、相手をデパートの案内嬢に変更するなどで、シミュレーションもできますから、幅広いケースで応用させることができます。

実行された方は、ぜひその結果を、レポートしてください。^^

 

 

1121 Wed.

英語学習

について次のようなリクエストをいただきました。


突然のメッセージ失礼致します。はっちさんの日記を毎回楽しく読ませて頂いています。はっちさんのおかげで、最近教養が身についてきたような気がします。

あの、はっちさんに是非書いて頂きたく…と申しますか、是非教えて頂きたいのですが、英語の学習についてです。

現在、自分は大学1年生なのですが、どうにも今自分が行っている英語学習が方向性として良いものなのかわかりません。
(基本的に教材を読み書きし、CDを通学中に聞くようにしています。)

そこで、よろしければ、はっちさんに、英語学習について日記を書いて頂けないかと…お時間やご都合など合いましたら、よろしくお願い致します。それでは、失礼します。


というわけで今日は英語の勉強?についてなのですが、実は私にとっては余り気の進まないテーマなのですね。

というのは、実を言うと英語は余り堪能ではないからです。

アメリカに10年近く住んでいたので、日常会話位は大丈夫ですが、もちろんネイティブのようにはいきません。

電話での押し売りを断るとか、夜中にロンドンに電話して、チャートソフトの不具合をサポートへ連絡して対処方法を聞く、なとどいったことくらいはできます。

娘はアメリカの高校、大学で勉強していたので問題ないのですが、私はそういう論文を書くとかのチカラ技で鍛えた英語ではないので、難しい単語が出てくるとお手上げです。^^

ですが、コミュニケーションを取るという意味では、それほど困ったことはありません。

よくあるハナシで、ビジネスでの英語は問題なく進むのだけれど、そのあとでのディナーや飲みに行った先でのハナシが苦手という人は結構多いのです。

これは純粋に英語を話す技術の問題というよりも、どういう話題で進めれば、相手とのコミュニケーションがより深くなるのかといった部分の問題になります。

ですから私はどちかというと、ビジネスのハナシより、飲みに行くなどの時の方がよく通じていたようです。(笑)

 

渡米する前、3年ほどアメリカ人と週一回、マンツーマンで一緒に食事に行ったりして1時間ほど過ごすという形で、英語を習っていたことがあります。

これは純粋な英会話学習というよりも、英語で話す人たちの考え方というか文化の違いに興味があったからです。

習うより慣れろという部分では効果はありましたが、渡米すると全くダメでしたね。

というのは、日本で英会話学校へ通っていたとしても、先生も商売ですから、わかりやすい言い方でゆっくり目に喋ってくれるわけです。

ですがアメリカでは私が堪能であるなしにかかわらず、理解できるという前提で話してくることに加え、とにかく喋る速度が速いわけです。

それにアメリカ人といっても、出身地によっては訛があるうえ、全員が正しい英語を喋っているワケではないのです。

ですから、最初はカタコトで日本語を喋ることができるアメリカの友人に、おんぶに抱っこ状態。

なわけで、彼には一日に一カ所だけおかしいところがあったら指摘して欲しいと頼み、話の途中でも「それはこういう言い方をした方がいいよ」などといったアドバイスを受けることにしたのです。

これはずいぶん勉強になりました。

 

シアーズへ扇風機を買いに行った時のことです。

どこにおいてあるかを店員に聞いても、どうも通じていないようなのです。

「ファンを探している」という言い方の発音が悪く、店員には「何か楽しいものを探している」というように聞こえていたんですね。

「フェアーン」とクチを大きく開けて発音しないと、扇風機の意味には聞こえなかったというわけです。

会話というのは、英語だけに限らず、相手の言うことがわかるだけではなく、こちらの言いたいことが伝わらないとダメなので、教材を聞くだけだと、自己満足に終わる可能性が高くなります。

 

銀座を自転車で走っていると、ときどき観光客が地図を見ながら途方に暮れ手いることがよくあるので、そういうときは May I help You ? と声をかけて、場所を教えてあげることがあります。

相手は大体が観光のために来ているので、基本的に暇ですから、話の展開によっては、かなり長い立ち話をすることになったりもします。

基本的にアメリカ人というかガイジン?は、初対面の知らない者同士でも気軽に話しかけるのが普通なので、日本人に声をかけるより、話しかけやすいのです。

皇居の周りに行けば、チャンスはたくさんあると思います。

こうしたチャンスを利用するとか、積極的に外国の友人を作る方が、英語でコミュニケーションを取るという点から言えば、英会話学校へ行くよりも、よい方法かもしれません。

 

 

1120 Tues.

体験の料理方法

自分の毎日の生活や体験を文字にするのは「自分による見聞録」のため、比較的楽に書くことができます。

旅行をしたりおいしいものを食べたり、などという自分の内なる感動を文字に変換するのは、「ネタ」的には最も簡単な方法です。

ですが、それを読んで面白いかどうかは、また別問題。

第三者的な視点で、自分だけの「関心ごと」を見たときに「肯定的な内容」ばかりだと、刺激のない凡庸な印象で終わりやすいのです。

自分の体験を文章にする場合に、最も陥りやすいパターンだといえるでしょう。

そしてまた、自分のトレードの記録を公開する場合も、同じような傾向になりがちです。


毎日の私的な体験が、他人にとっては面白くなく感じてしまいがちなのは、何故なのでしょうか?

自分の体験や感動という「素材」だけを並べただけだと、自己満足と自らのエゴを羅列しただけのものとなりやすく、そこでは単に完結した閉鎖的な世界が展開されているに過ぎないからです。

外に向かって発散するものや、せめぎ合いや葛藤などがないと、他人の目からは「刺激のないつまらないもの」に映るのです。

 

自分が大事なために、自分や、家族を含めた自分のまわりの人間関係だけに対して関心が向いているものは、いわばプライベートな世界で終わってしまっています。

ですがそこに疑問や問いかけという「何故?」が含まれると、文章は俄然輝き出します。

「自分に対する疑問」は、私的な世界を公的な世界へと導くためには、欠かせない要素です。

「自分はなぜ、そうなのか?」という視点を自分の内側へ向け始めると、社会との関わりについて考えざるを得なくなるからです。

 

そうした疑問を書き、公に提示するには、それを考え、そして必要に応じて調べる必要性が生まれます。

こうした作業を繰り返すことで、どんどん次のステップへと進むことができます。

自分の今ある世界をすべて「イエス」を前提として構成していては、公的な関心が介入する余地がないのです。

そのため、こうした作業を通じて、読んでもらえるような関心が入り込む「スペース」を作る必要があります。

 

たとえば引っ越し先を探すとき、「自分の好みや住みたいところ」というような「内なる自分のエゴ」だけでは、意外と候補地を絞り込むことができないものです。

何故引っ越すのか?何故そこに住みたいのか?自分の毎日の生活にとって何が最も大事なのか?何を捨てることができるのか?

などというように、最初のひとつの疑問が、次々と次の思考ステップへの扉を開くのです。

自分の内にある、無意識の考えを含め、もういちど白日のもとに「それら」を引っ張り出し、明るいところで見直すという作業は、やってみると意外とエキサイティングで、心躍るものです。

 

カビの生えかけた考え方が原因だったり、自分の関心が実は意外な方向を向いていた、などといった新しい発見が、自分を変えるための大きな原動力となります

今までの人生経験をもとに、自分を客観的に眺め、そして自分を自分の好みに仕立てあげる。

自分以外にはけっして触れることができないこうした部分を、手つかずのままで放置しておくと、内なるものは次第に色褪せそして輝きを失い、老いや無気力、倦怠感などを、はびこらせることになるのです。

それを少しずつでも変えようとする意志のチカラによって、内側から違った色が加わり、徐々に輝きを取り戻す課程が、他人の目にどう映っているのかは、受ける眼差しが何よりも物語ってくれるはずです。
 

 

1119 Mon.

ボーン・アルティメイタム


独特のスタイルで大ヒットする映画には、必ず起きるパターンというものがある。

制作陣が予期せぬヒット作で味を占め、二匹目のドジョウを狙って製作される「ナントカ2」は、ほとんどの場合、一作目となる最初の作品を超えられない事が多い。

このシリーズが一作目二作目と「だんだんよくなる法華の太鼓」を地で行く展開だったことは、このシリーズをご覧になった方ならよくおわかりのはず。

そしてファン待望となる三作目「ボーン・アルティメイタムが公開されたわけだが、その出来は期待を裏切らないどころか、輪をかけて素晴らしい作品に仕上がっていた。

今までの顛末の種明かし ともいえる三作目だが、絡み合った糸をほぐすため、あえてリスクを受け入れ、身を隠したり変装をすることなく堂々と追っ手と渡り合う「潔さ」と、殺伐とした戦闘シーンの対比がこの作品に独特の味わいを与えている。

ボーンが殺し屋としての「性」を持つにもかかわらず、身を守るため以外には人を殺さず、また真相究明のため自分の身を危険に晒すことも厭わないストレートさというこのシリーズを通して貫かれているキャラクターの明快さが持つ心地よさは、前2作を遙かに上回っているといえるだろう。

そのため観客の心情はより主人公側へより引き寄せられることになり、これがジェイソン・ボーンの目線による擬似的な観客との一体感を生み出す効果をさらに強めている。

さらに自身の出生を解き明かすため、自身の身を守りながら息切れすることなく突っ走る 疾走感はさらに研ぎ澄まされ、この作品独特のスリリングな緊迫感を究極まで高める効果を生み出すことにも成功している。

その場の状況にあわせ、アドリブで対処してゆく刹那的ともいえるボーンの行動パターンは、ダイ・ハードシリーズの主人公と相通じるものがあるのも興味深い点だ。



 

特に追っ手の殺し屋との目にもとまらぬ速さの殺陣は、早すぎて何が何だかわか
らなくなるほどのレベルに達している。

気がつくとボーンが、相手を仕留めていたという案配の、一歩間違えると禁じ手となるラインのギリギリまで踏み込むことで生まれるスピード感は、観るものの認識力のほぼ限界にまで達しているのではないだろうか。

こうしたスピード感溢れる展開によって、ゾクゾクするような興奮を味わうことができる度合いは、前作を遙かに上回ると断言できる出来映えとなっている。

そのため、映画を見ている人の中には、余りの画面転換の速さで、気分が悪くなる人が出てくるのではないかと心配になるほど。

巧みな緩急のつけ方によって、観客の興奮をダレさせることなく最後まで継続させるその手腕は実に見事で、とにかく製作陣の気合いと心意気が、画面からビシビシ伝わってくる。

 

追っ手となる組織としてのCIA に対する一匹狼のボーンというシンプルな対比も、この作品の魅力を引き立てる大きな要素となっている。

エンディングで見せるボーンの優しさと、最後に見せる死を賭けたどんでん返しとのコンビネーションは、観るものの目頭を熱くさせるはず。

そのためエンドロールは、クライマックスの後の余韻に酔いしれるための、スペシャルなエンディングとしてなくてはならない存在となっている。

また、映画をさらに魅力的なものに演出している音楽の素晴らしさも、エンドロールで存分に味わうことができるだろう。

席を立ちたくないほどの余韻が、エンドロールが終わっても、さらに残るという作品は、過去にどれほどあっただろうか?

と言えば、この作品が如何に図抜けたものかが、おわかりいただけると思う。

これだけの作品だから、ご覧になる場合は、現在の最高レベルのデジタル出力による、画質と音質を備えた最新のシネコンプレックスで楽しむことをお勧めする。

ブルーレイディスク版が出たら、ぜひとも手元のコレクションとして加えたい作品だ。

 

 

1118 Sun.

ハイテク・ムービーシアター

久しぶりに映画に行こうか?ということで、カミサンと「ららぽーと豊洲」の「ユナイテッド・シネマ豊洲」へ。


ららぽーと豊洲の3階通路には、少し前からこのように「ユナイテッド・シネマ豊洲」で使われている椅子がセットされている。

座り心地を試してもらおうというわけだ。

 

映画館の椅子って言うのは、どちらかというと小振りで、あまり座り心地がいいとは言えないものが多かったからね。


バックレストが高く、レカロシートっぽい雰囲気だ。


センターへの息子の送迎時間からだと、上映が11時30分から、2時前まで似限定されるため、11時に「ららぽーと豊洲」のどこかで食事をしてから、映画を観ようということで、「ボンベイ」へ。


マハラジャグループのチェーン店だが「ボンベイ」は、どうやらまだ2店舗のようだ。

 

店内は清潔でカジュアルな感じ。

 

すべてのメニューには、サラダバーが付いていて、ランチで確か1000円前後の値段帯。


デザートもあり。

 

ランチメニューは海老と、野菜のカレー2種類が付いてくるのだが、野菜を2つにしてもらう。

カミサンは海老を2つバージョン。

とうことは、最初から2つランチを注文して取りかえっこをしても同じ事だったのだけどね。

 

店内にはこうしたインド映画のポスターが展示されている。

他に客が居なかったので、店長らしき人に聞くと、このポスターの彼は最近のスターだそうだ。

ちょっとニコラス・ケイジ似?

 

いろいろ尋ねたせいだろうか、これがインドの70年代の映画だと、店内のスクリーンに映写してくれた。

だが余り時間がなかったので、映画の時間があるのでと礼を述べ、そそくさと店を後に。

なかなか美味しいカレーだった。

インドと味はほとんど同じだそうで、特に日本人向けに味を調整はしていないのだという。

インドでは、人によって辛さが駄目な人もいるので、辛くないカレーも結構ポピュラーなのだという。

 

ボンベイと「ユナイテッド・シネマ豊洲」までは、どちらも三階にあるので、歩いて2分ほどの至近距離。


入り口の様子はガラガラだったので一安心。

何といっても平日の昼前だからね。

 

チケット売り場はこの通り。

全席指定席なので中央の最もいいあたりの位置を指定。

10番スクリーンは、413人というこの映画館で最も多いキャパだったが、観客は多分20人も居なかったと思う。



 

「ボーン・アルティメイタム」は、10番スクリーンで上映されていたのだけれど、DLP(デジタル・ライト・プロセッシング)という最新のシステムを使っていた。

フィルムを使用せず、デジタル化された映像データを専用の映写機を通してスクリーンに映すため、スクリーンの隅までシャープで鮮明な高画質を楽しむことができるのだという。

最近映画館に行って思う、画質の荒さと暗さのネガティブな印象は、家で50インチのプラズマディスプレイで観ているためかなと思っていたのだが、見終わって「映画館で観るのも悪くないな、と認識を新たにした次第。



音も圧縮されていないため非常にクリアで、SRD-EX (surround EX)方式のヤマハ「AFC」「YSFG」というシステムが入っているという。

6チャンネルに後方1チャンネルという7チャンネルで音場を自由にコントロールできるらしい。

スピーカーはクリプシュ

ウチのいわゆるホームシアター?!のサラウンドシステムも決して悪くはないと思うのだが、ここのサウンドは圧倒的な音量とも相まって、素晴らしいものだった。

静かなシーンでの緻密な音場再現は今までに体験したことのないたぐいのもので、あまりに綺麗に音が空中に浮かぶので、思わず宙を見つめたほど。(笑)

座り心地のよいシートと相まって、まさに映画の醍醐味を十二分に味わうことができたが、ここまで非日常的な感動を味わうことができるのなら、お一人1800円ナリはまさにプライスレス!?

作品自体のできのよさとあいまって、二時間少しがあっという間に感じられたのだった。

 

 

1117 Sat.

クラウンの世界
 


さて代車も二日目になると、カラダがだんだんとクラウンに慣れてきていることがわかる。

最初はなんだかトラックに乗っているように感じたものだが、だんだんと車が小さく感じられるようになってきている。

慣れとはすごいものだ。(笑)

こうしてオーバーナイトで使ってみると、よく言われる「おもてなし度」の高さに感心している自分に気がついて、ちょっと新鮮な気分。




例を挙げると、たとえばトランクオープナーは、上の写真のように右手側の窓関係が集まっているスイッチのあるアームレストの側面に、さりげなく付いているが、使いやすい便利な位置だ。

またBピラー上にあるシートベルトの上端の付け根の位置を上下をさせることで、小柄な人の首に引っかからないような仕掛けも付いている。

コンソールのディスプレイも実によく練られた使い勝手だ。



オーティオ関係も「音場展開の設定」を前席だけとか、運転席のみ、などというように選択できるなど、その便利さに嵌ってしまう仕掛けが、あちらこちらに用意されている。

とにかくすべてにおいて、ラクチンな世界が展開されている車だ。

ただ、走り出すとドアが自動的にロックされるとか、左手あたりのスペースの問題なのだろうか、パーキングブレーキが足踏み式だったり、という仕様が意図するかどうかは別として、放置されているのも事実。



シフトレバーも、D−4とか3とかL−2などを選択できるため3とかL−2を使いエンジンの回転を高めにキープした走りもできるのだが、クラウンで走っていると、なんだかそういうことをしている自分が虚しく感じられてくるのだ。

もちろんハンドルまわりにパドルシフトなどは付いていない。

D−4のままで、何も考えずに車に任せて、のんびりと走るのがデフォルトですよ、ということなのだろうが、もちろんそれでちょうどいい具合なのだけどね。

というわけで、何となくトロトロ走りたくなるというわけだ。

だが、だからといって、「シトロエンC6」などの世界とはまた違う。

C6は独特の「走り」の味を味わいたくて、ゆっくりと走りたくなるのだが、クラウンの場合は、五感に伝わってくるすべての「走り」に対する手応えを含め「走り」とは反対サイドに行きたくなる車のキャラクターがあるためのようだ。

 

ミニだとカミサンの買い物を待っている間というのは、退屈するものなのだけれど、クラウンは待っている間は、退屈させずにラクチンにもてなしてくれる。

選択したラジオ曲の局名なども律儀に表示してくれるし、あらかじめすべての受信できる局がプリセットされているようで、よく気の付く召使いがあらかじめ気を利かせ、ドライバーが望むであろうことはすべて用意してくれているのだ。

ミニだとこうはいかない。

周波数が表示されるだけで局名なんてわからないし、自分でボタンへ記憶させておくという、仕込みが必要になる。

だがだからといって、不便だとは思わない。

走らせる楽しさに溢れている魅力が、そうした欠点を補って余りあるものになっているからだ。

 

こうして使ってみると、いわゆる欧州車とは違った「日本的な独自の価値観」で展開される世界を、クラウンはすでに築き上げていることがよくわかる。

歳を取って、だんだんとモノグサになってきた、日本人の大多数なオヤジのハートをグイと掴んで離さない魅力を持っているという点において、好き嫌いは別として、大したものだと思う。

もちろん走りではない、できるだけ静かな車に仕上げるなどというような、徹底した「おもてなし」や安楽さという世界でもって点数を稼いでいるわけだが、こうなってくると、なんだか「よくできた家電製品」のように思えてくる。

とにかく使っていると、クラウンを購入するであろうユーザー像をきちんと把握していることが随所から伝わってくるのだが、車とはそういうものだと勝手に値踏みをしている作り手の意図が「うざい」と感じる人には、全く向かない車になっていることもまた事実だろう。

などといっても、クラウンから帰ってくる反応というのは So What ?

いやあ、恐れ入りました。

 

 

 

1116 Fri.

Break


 

ちょっと一段落。なので今日は備忘録日記。

今年もあと一ヶ月半を切ってしまったが、早いものだ。ネットエイドは今月24日からの一週間セミナーの前までしばらく休むため、しばしの骨休め。

休みの間にはいくつかのプランを建てているので、それが楽しみ。

ネットエイドは、引っ越しをきっかけに7月から始めたことだが、その効果はジワジワと現れ、最近の悪いマーケット環境でも自立を目指す方の多くがとてもよい状態なのが嬉しい。

マーケット開始前の30分間はネットエイドを無料で利用できるのだが、この時間帯の事前チェックの重要性が理解されてきたからだろうか。

川の流れを毎日定点から見続けることで、見えてくるものというのがあるわけで、実際に毎日繰り返すことで、それがジワジワと効いてきているのだろうと思う。



ガイドをする側にとっても続けることで見えてくるものがあり、特に日米の両方のマーケットを同じ目線で見るという体験から得たものは、少なくなかったといえるだろう。

ガイドというのは、ガイドを受けた人の状態をフィードバックできるシステムがないと、空振りに終わったり、あまり効果がないことになってしまう。

そのための工夫というかノウハウは、継続するからこそ手に入れることができるわけだ。

もともと私は米国株トレーダーなので、東京マーケットの様々な仕組み的制約の中で、コンスタントに成績を出せるガイドというのは、とてもやりがいのあるチャレンジだったと思う。

 

今年前半はこのための準備期間で、後半はそれを実際に運用するという一年だったわけだが、思わぬ効果というか、事前に想像だにできなかったものがフィードバックされることになったのには 、少し驚いている。

何かを手に入れるためには、いさぎよく手放すものも必要なのだということを、今更だが改めて学ぶことになったというわけだ。

時には少し立ち止まっての気分転換も大事だからね。

リラックスした状態で、来年を含めた少し先のことを考えてみるのも悪くないと思う。

と、自分だけしか分からない日記を書くというのも何だが、まあたまにはいいかなと。

 

 

1115 Thurs.

いつかはクラウン

先日ららぽーと豊洲の駐車場で、後ろを軽くコツンと当てられたためミニは修理に。
 


 

このように、遠目だと分からないが、でも近づくと分かるという微妙な傷。
 

保険屋さんが、手配してくれた代車は「いつかはクラウン」のクラウンであります。




スーパーサルーンというグレードで、レンタカーではなく、保険屋さんか修理屋さんが所有する車のようだ。 取説を見ても、排気量などの記載はないのだが、多分2.5リッターだろう。

一応マフラーは左右に2本出ている。


インパネや装備は作りもよく、使い勝手もよく考えられている。

いやあよくできていると、感心するところが多いのはさすがトヨタと誉めたくなってしまう。
 

シートは適度なサイズと柔らかさで、ホールドもよく何も問題なし。

 


 

全般的に非常にスムーズで、ATはショックも少ないうえギアの配分もよく、DからSに入れるとシーケンシャル操作が可能だ。

だが通常は不要というか、車の性格がもともとシフトしながら走ろうという気にはならない種類のため、使う気が起きないということなのだけどね。

走行距離は1万6千キロ少し。ガソリンタンクは71リッターなので、街中ではリッター7キロ少しといったところか。


スイッチ類の位置や大きさも考え抜かれたセンターコンソール。

左側のオーディオ関係スイッチは遠いが、ステアリングスポーク上のスイッチでカバーできるので特に問題なし。

 

四角いキーを身につけ、ブレーキさえ踏んでいれば運転席右側のブタンを押すだけで、エンジンがスタートする。

エンジンを停めるときも、ボタンを押すだけ。

左側に見えるのは、差し込んでも使えるようになっている、キーを差し込む穴。


アームレストは中が収納できるようになっているうえ、3層に分かれているため便利。

だけど2段にしてくれてもう少し深かったら、カメラが入るんだけどね。(笑)

 

ダッシュにあるスピーカーカバーのエッジが、左右と中央の3カ所で多分太陽の熱が原因だと思うのだが、反ってしまっているのがチト残念。

ダッシュのフラットな面で、目の前にあるうえ、他の部分が完璧なだけに目立つのだろうね。

逆に言えば、これくらいしかケチのつけようのないインテリアのフィニッシュは、値段を考えると見事なレベルだ。

 

2.5リッターなら、300万円台後半からのラインアップなので、オプションを入れると今のミニクーパーSコンバーチブルとほとんど同じ値段になるだろう。

実用性を比べるなら圧倒的にクラウンの勝ちだ。

飛ばしたわけではないので、断定的なことは言えないが、街中のスピードでは、パワーステアリングの感触はいいし、操縦性や味付けはマイルドで適度な素直さも持っているため、多分この車を買うであろう人には、全く問題ない運動能力だといえるだろう。

あと個人的にちょっと問題となるのは、乗り心地だろうか。

確かに角は取れて丸いのだが、路面の起伏をサスペンションが吸収しきれず、そのうえ静かなために多少の音でも聞こえてしまうのだ。

そのため、こうした乗り味の車に求めたくなる「洗練性」の水準には達していないのが残念なところ。

乗り心地は「ふんわり」しているのに、ゴツゴツとした感触があるうえ、揺れの収束の案配が、高級車らしいゆったり感に水を差しているのだ。

フロアを通しての若干の振動の伝わり方が、運転している者に剛性感が十分ではない感触を伝えてしまう。

こういうところで「いい車感」が大幅に割り引かれてしまうのは損だよね。

クラウンばかりを乗り継いでいる人だと、ちょうどいいバランスなのかも知れないが・・

 

ミニはゴーカートフィーリングと乗り心地がマッチしているため、乗り心地が堅く、ショックが伝わってきても余り気にならないし、逆にそれがスポーティーという味付けとうまくマッチしているのだ。

そういう意味では、欠点をも特性と組み合わせることで、魅力へと替えてしまうというBMWの手腕は、なかなか見事だといえるだろう。

こうした見方から言えば、クラウンは、車の運転が好きな人の琴線に触れる部分が、サンドペーパーをかけられて、綺麗にツルツルになってしまっているといえばいいだろうか。

そのためこの車に乗っていると「車の運転を楽しむ」という気分が萎えてしまうのだ。

あまりにもラクチンに移動できるため、車に乗っているという感覚が希薄になってしまうのが原因なのかもしれない。

この車どうよ?ってカミサンに聞いたら「この車に乗ってると何だか老けた気分になるわね」ということだったが、まさに言い得て妙だと思う。

 

あと、個人的にどうしてもダメなのが、エクステリアつまり外観というかデザイン。



 

誰もが知っているツラ構えですが、一応パチリと記念撮影。(笑)

車の中に居れば見えないとはいうものの、食事をして車へ戻ったときに、この格好の車に乗り込むことを考えるとねえ・・

移動のための道具と考えれば、値段の割に豪華だし、文句を言う筋合いではないのだけどね。

もっとシンプルでクリーンなオリジナリティーのあるデザインなら、買うかもしれないなあ、などと、とにかく、いろいろなことを考えさせてくれる車ではあります。(笑)

 

 


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2007 1115-

 

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