価値観

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ハッチさん

株の売買の話をすると、働かないで収入を得ることに対して軽蔑するような風潮がありますよね。

将来性のあると思われる会社に投資して、業績が上がって株価も上がり、結果として儲かるという場合は当然の利益と考えるが、逆に株価が下がることを予想して、空売りして儲るのはいかがなものか、という意見です。

ましてや、デイトレードのように数分の間に、ゲームのように売ったり買ったりして儲けるなんて・・・人は額に汗して働いて収入を得るのが当たり前で、株を売ったり買ったりしただけで利益を得るのはいかがなものか・・・少なくともそんなことはおれはやらない・・・と言う意見です。

このような半分軽蔑を込めた意見を時々聞くと多少気が滅入る事があるのですが。だから、あまり人前でデイトレの話はしません。このあたりの意見について、ハッチさんはどうお考えでしょうか。


 

トレードは労働ではない、仕事ではない、遊びだ、という考えの人がいますからね。

肉体的に汗をかいたり、長時間を費やしたりするという、いわゆる「大変な思い」を体験する労働にこそ価値があり、「そうでないように見える労働」で稼ぐのはケシカラン、という論理なのでしょう。

こうした考えの背景には「嫉妬」という感情があります。

 

つまりオレが大変な思いをして一生懸命に働いてるのに、人がラクして稼いでいるのは、うらやましく我慢ならない、という心理状態から生まれるものだと思われます。

しかも「そうかそんなにラクだったら、俺もやってみようか」という方向へは考えることができないため、ますますそうした傾向に拍車がかかるというわけです。

ですが実際にやってみれば、決してラクして儲けているのでもなんでもないのですが、売買をして保有する時間が短いため、働かずにゲームのようにして儲けているように見えるのでしょう。

 

トレードで確実に稼ぐ技術を身につけるためには、損失という授業料や、多くの時間を割いてトレーニングをする必要があるのですが、そうしたプロセスを知らないため、結果だけを見て、嫉妬するわけです。

 

 
投資は付加価値を生み出すが、デイトレードは投機であり投資ではないという意見も議論の遡上によく取り上げられます。

超短期保有のデイトレードは投機であるため、社会に対し富、サービス、価値を創造しないが、長期に保有する従来の方法は投資であって、社会に対し富、サービス、価値を創造する、という考えの人が多いためでしょう。

ですが投資家であれ、投機家であれ、利益が出れば売却するのは同じことで、早いか遅いかだけの違いです。

 

投資家は、損失を出してから、大量に売り、ギャップダウンを起こす要因を作り出します。

これは会社に大きなダメージを与えます。

投資家という名前の隠れ蓑で、投機をする者もいますから、投資か投機かの区別をすること自体、意味がないことなのです。

 

 

デイトレードはどうしても超短期保有の手法ばかりが脚光を浴びることになりがちです。

その方法が新しいがゆえにそこだけにスポットを当てられ、長期保有もするという側面を皆さんは無視しておられるようです。

ダイレクトアクセストレードは、今までのような長期投資から超短期のスカルピングまで、自由に組み合わせることができるため、保有する期間を組み合わせて、損失のリスクを下げることができるのです。

 

ですから、多くの人が前提としているデイトレードイコールスカルピングという、全く長期間保有しないという前提は、ダイレクトアクセスの実態と違っているのですが、ほとんどの人はそういう実態を知らないのが現実です。

業績のよい銘柄なら「投資」と同じ期間保有するのは当然であり、優秀な個人トレーダーは、長短の保有期間を柔軟に組み合わせてトレードをしています。

これは意外に知られていない事実です。

 

 

トレードの世界には合法的なルールがあり、それによって多くのブローカーやいわゆる証券会社というサービスが生み出され、個人のトレーダーが参加することによってさらに高い流動性という価値を生み出しています。

公正な株式市場を運営するためには、高い流動性というのは非常に重要な要素です。

日本のマーケットが公正でないと世界から評価を受けていることは、一日の取引高の数字を見れば明らかです。

 

会社に大きなダメージを与えるようなギャップダウンを起こすような操作ができるのは、投資家の資金で操作をするマーケットメーカーだけなのです。

個人トレーダーは、仮にそういうことをやりたくても、できないのが現実です。

こうした例でもわかるように、機関投資家側のマスコミのイメージ操作で、誤った見方をしている方も多いのです。

 

 

アメリカでも、トレードのことについてよく知らない方は、ギャンブルだと思っている人が大勢います。

世界の投資家がどのマーケットに一番多く資金を投入しているかを見れば、社会的に意義がある公正なマーケットがどこかを簡単に識別することができます。

デイトレーダーの父と言われている、当時のオールテックインベストメント社の会長は、米国で直接マーケットへ個人が自由に参入できないのは憲法違反であると提訴。

 

そして何十年も前に勝訴しダイレクトアクセスは社会から認められたわけですが、日本では未だに、ダイレクトアクセスは実現していません。

東京マーケットには、寄りつかない「特別気配」があること自体が、公正なマーケットという視点から見れば「異常だ」ということを、ほとんどの日本人は未だに認識していないのが、現実なのです。

 

 


デイトレードは株式市場の流動性に参加しているという点以外、なんの付加価値も創造しないので社会的に何も貢献しないという意見もよく耳にします。

私にとっての社会という概念についてですが、まず自分があり、そして家族があり、そうした小さな個が集まったものが社会だと考えています。

ですからその家族が経済的にも時間的にも自立した父または夫から受ける変化は、家族に大きな希望と誇りを与えるものです。

 

この社会に対する、一番小さな単位の最も大事なものへの貢献が果たしてネガティブなものなのでしょうか?

こうした、一番身近な人に対する貢献がなければ、さらに大きな貢献もありえないでしょう。

社会の貢献には、いろいろな形があり、その価値観は時代と共に変化をしています。

 

ですが日本ではいまだに、家族を犠牲にしても、会社に貢献しているのだから仕方ない、という価値観の人が多いのもまた現実なのです。

 

世の中には様々な価値観があります。

たとえば、セールスのため年中飛行機で海外へ出張する仕事をされる方がいます。

ですが飛行機というのは、膨大な航空燃料を消費するわけです。

 

地球温暖化や、化石燃料の節約という観点から見れば、とんでもない乗り物だと言えるでしょう。

ですから極端な物言いをすれば、今まで飛行機を利用していた人がすべて飛行機の利用をやめれば、地球全体の環境にとってもプラスになることであり、化石燃料の節約にも繋がるわけです。

不便を我慢すれば済むことなのですが、そういう乗り物を利用する仕事がケシカランという話にはなりません。

 

つまり多数が便利であれば、「少々のことには目をつぶる」というのが世間の風潮なのです。

 

この例でもおわかりのように、トレーダーという仕事が多くなってくれば、ご指摘のような意見は少なくなるはずです。

よくわからないことに対しては、ネガティブな意見となり、単なる印象で深く考えることなく、批判するのが人の常。

自分と違う価値観を頭ごなしに否定する人は、それだけのものでしかないと考え、気にしない方がいいと思います。

 

「トレードや経済に対して何も知らない人」の意見に惑わされることはないと思いますし、自分の仕事の価値をよく知り、誇りを持っていれば、そうした意見は全く気にならなくなると思いますが、どうなんでしょうか・・

 

 

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