2011年02月28日 のCoolに過ごそう

2月を終えて・・

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2月最後のナスダックマーケットが終わりましたが、いかがだったでしょうか?

展開がちょっと難しかったでしょうか?

皆さんの成績はイマイチだったようですが、こちらで分析をしましたが、2000ドルは獲れるマーケットでした。

米国ナスダックマーケットでは、一時間ほどのイントラデイトレーディングで1000ドルも獲れない日というのは、たぶん一年に一回もないはずです。

 

流動性が高く、よく動く銘柄が数多く上場されているナスダックの株式市場は世界で最も信頼できるトレーディング環境が整ったマーケットです。

このことは私がトレーディングを始めて10年以上が経過しても、全く変わることのない部分でもあります。

  

獲れなかった理由を探り、その対策を考える。

トレーディングというのは、この繰り返しをきちんと行っているかどうかが、問われる仕事です。

   

ホワイトカラーの仕事のように、取引相手を納得させれば結果オーライ、というわけにはゆかないのです。

マーケットは自分が取ったアクションに対して、正直な結果を返してきます。

   

つまり、他の仕事に比べ、自分の技量を正確にしかも客観的に知ることができるというのが大きな特徴なのです。

こうした特性を生かし、仕事として毎日努力をするという姿勢が問われる仕事でもあるのです。

   

普通の仕事というのは努力をしなくても、ほとんどの場合何とかなるものです。

ですがが、トレーディングはそういう類とは全く違う仕事なのだということを、よく理解する必要があります。

つまり何も対策を立てずに、のんべんだらりと昨日と同じ事をしていては、いつまで経っても勝てるようにはならないのです。

 

これを常に強く自覚し、毎日コツコツと取り組む厳しさを自分に対して向けることができない人は、成功できない世界なのです。

ですが一旦この習慣が身につくと、当たり前のことですが、どんどん勝てるようになります。

強い意志と、想像力、そしてそれを実行しようという情熱、これらの要素が組み合わされることで、当人も驚くほどの結果が待ち受けている世界でもあるのです。

 

やるかやらないかで、勝てる勝てないの個人差が、どんどん開いてゆく仕事です。

シアトルの友人、小野沢さんからのメールが届いたのですが、まさに私が言わんとしていることが盛り込まれた素晴らしい内容ですので、最後にご紹介。

 

 

ギターは弾くから音が出る

人生"活きなきゃ"つまらない
 
サミュエル・ウルフマンの『青春の詩』(三笠書房刊・宇野収訳)に、「年を重ねただけで人は老いない」とある。「歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ」と続く。しかし、この詩にどれほど感動しても、情熱をもって活きる人は少ない。それを己の人生で具現化することは、そうしなかった時と比べて、人生の明暗を分かつほど大きいだけに、残念なことである。

好奇心、情熱、そして行動力がともなった人は表情がハツラツとしている。結果、若くみえる。分別をもつ大人にとっては子供っぽいのだが、心の素直な人は、熱中している少年の輝きに似た雰囲気を、その表情から感じとる。「青春とは、若い皮膚や、しなやかな手足にではなく、たくましい意思と豊かな想像力、そして燃える情熱をさす」 と、この詩はさらに続く。

 

脳学者、茂木健一郎が言った。豊かな想像力は、見聞・体験・経験など、脳に入力された情報が、意欲や動機に刺激されて芽生えるもの。だから、経験が多い人の脳は発達しているのだが、加齢に従って人生への意欲が低下すれば、脳は刺激されることがない。「理想を失った時はじめて老いる」という行りが青春の詩にある。

「いのち短かし、恋せよおとめ、紅き唇あせぬ間に」。黒澤明監督の映画『生きる』の中で、老いにさしかかった主人公の志村喬が口づさむゴンドラの唄は、寝静まった夜の公園のブランコに揺られながら、「人生は短い、情熱をもって生きよ、それができる内に」と、若き女性の恋になぞらえて、そう活きてこなかった己の人生を淋しく語ったもの。エレキの神様と呼ばれる寺内タケシは言った、「60年のギター人生で分かったことが一つある。ギターは弾かなきゃ音が出ないということ」。しかし、それだけではない。情熱をこめて弾くから感動をよぶのである。

 

意欲・情熱と行動力を湧きおこす上で、好奇心を欠かすことはできないのだが、日本の社会通念は、好奇心に向かう大人を子供じみているとしてマイナスにみる。好奇心を抑え付ければ趣味は育たない。「いい歳をして、いつまでマウンテンバイクのような子供じみたことをやってるの?」。趣味だらけの私は、無趣味な知り合い達から諌め続けてられてきた。エリートを自負する人種からの冷笑もあった。それでも、彼らは彼らなりに若さを主張する。彼らが"ヤンチャ"を演じて言う共通の言葉、「まだまだ学生気分!」。

彼らが心の声に蓋をして過ごした同時代に、私は、心の求めるところに従って、手足を自由に動かして活きてきた。だからか、趣味が高じて始めた仕事を複数もっている。人生も愉しいし、仕事の辛さを嘆くこともない。私は、ギターを弾いて音を出すだけでなく、弦を奏で続けてきたのである。この違いは人生格差とも呼べるほど大きいであろう。

 

「青春の詩」に感動しながらも、「もっと分別をもったらどうですか」と諌める言葉の中に彼らの合理性が見える。「青春の詩」の内容を観念的に捉えるだけで、現実とは区別していることもわかる。その点が理解できると、詩が与える生き方への示唆が現実視されないことばかり、と、知ることになる。「あれは本や映画の中だけのこと」、と、彼らは、矛盾を全く感じずに、観念性を肯定し乍らも、いきなり論理を飛躍させて具体性を否定してしまうことができるのだ。

思ッテイル、と、ヤルは違う。しかし、ヤッテシマッタ人と、ヤラナカッタ人の差は大きい。ギターを持っていない人がいれば、所有しているだけの人もいる。そして、弦を鳴らすだけの人がいれば、奏でる人もいる。同じように、無意識に繰り返される日常(心の声)の選択が差をつけていく。人生の明暗の分かちどこである。しっかりと見極めたい。

 
 

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