2012年03月08日 のCoolに過ごそう

トランス状態

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音楽には膨大な情報が含まれている。

複数の音色、リズム、旋律、言葉が絡み合って時間的に変化してゆくため、人間の脳は瞬時に暗記することはできない。

だが、ビートから生まれる高周波による非定的な持続音と低周波衝撃音がミックスしたものが耳から脳へ到達すると、脳はさらなる脳内エネルギーを生み出し、脳を活性化させてゆく。

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波長の合う音楽のから感じる心地よさや、病み付き度の高さ?の構造を冷静に分析すると、このような脳の持っている高度なシステムによって、もたらされている。

音色、リズム、旋律、言葉が絡みあっているため、最初のうちは、脳にとって瞬時には理解できないものとして映るわけだ。

だが繰り返し反復体験することで、脳は次第にそのエッセンスを記憶しはじめる。

 

 
メロディーや歌詞からのイメージがリアルタイムで脳内に刻み込まれるに伴い、発生する脳内エネルギーは、時には右脳によってプレイヤーの姿さえ描き出し、それはやがて音楽の持つ細かいニュアンスを感じ取るレベルにまで増幅するようになる。

驚くべき能力といっていいだろう。

その理由は、こうした音楽の反復体験による「咀嚼(そしゃく)」を繰り返すことによって「視聴覚器官を通して脳内神経が刺激され、脳内麻薬物質(エンドルフィン)が作用し、ドーパミンと呼ばれる神経伝達物質を多量に放出された状態」に陥るためだと考えられている。

この反復咀嚼によって、脳はその曲を自分自身の精神的な成長の糧として利用し始めるというわけだ。

このように目や耳などを通して刺激を受けると、普段働いている自意識や自己防衛という理性は沈静化し、本能が突出した状態へと移行することになる。

そして潜在的な否定的情動が解放され、リラックスした状態になるというわけだ。

 


トランス状態にはさまざまなレベルがある。

浅いトランス状態では、物事に対して夢中になったり没入することができる。

その結果として飛躍的に作業効率がよくなり、それが素晴らしい結果をもたらしたり、思いもよらない発見に繋がることは、誰しもが一度は体験したことがあるはず。

酒飲んだり、本をゆっくりと楽しんだりといった自分が好きなことをしている時というのは、いわば浅いトランス状態に入っているといえるのだ。

それが心地よさとなり、ストレスを解消させ、心を癒すことに繋がるというわけだ。

 

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さらに深いトランス状態になると、自我を失い、本能を剥き出しにするといった状態になるのだが、そのためにはドーパミンなどの神経伝達物質が大量に放出される必要がある。

そのためには、いわゆる「ドラッグ」を利用して精神変容物質を体内に取り込むという方法がある。

手っ取り早く即効性のある方法だが、急激さが過ぎるとカラダへダメージを与えることになり、多くの場合法に触れることになる。

 

 

そこでより安全でコントロールしやすい方法として「音楽を楽しむ」ことをお勧めしたい。

インドネシアのバリ島には「ガムラン」という民族楽器がある。

ガムランは宗教儀式などで演奏や踊りを伴って精神を高揚させ、薬物を用いることなくトランス状態へ導くために利用されている。

日本でも巫女が「神がかり」として神が乗り移り、別人のようになることがあるのだがこれもトランス状態を利用した方法だ。

 

  

脳内伝達物質が放出されるためには「視聴覚器官を通じて」脳内神経が刺激されなければならないのだが、そこでのキーワードは「非日常性」。

宗教の儀式的な場面では様々なところで「非日常性」が演出されている。

視覚面においては、派手な仮面や衣装、儀式の場を彩る飾りつけに加えて、そして儀式が行われる場として「聖域」を意識させることで、巧みに非日常性を高めるわけだ。

 

  

つまり非常に特殊な非日常性をどのように演出するのかによって、その効果は大きく変化することになる。

80年代に生まれたマシンビートのリズムとシンセサイザーを用いたループが基本のハウスとテクノは「クラブミュージック」と呼ばれている。

「聴いていて気持ちが良く躍りたくなる」という目的だけのために作られた音楽は「恍惚感」を呼び起こすことを目的としている。

そのため現在も続いているクラブミュージックは別名「トランスミュージック」と呼ばれている。

わかりやすい単調な展開と4つ打ちと重低音と高音の組み合わせというのは、まさに宗教音楽の手法そのものなのだ。

  

  
アップルは「聴覚によって咀嚼反復できる装置」で日常のシーンでこうした状況を手軽に手に入れることができるという製品を販売し、それが大成功を収めたことは、みなさんすでにご承知のことだろう。

さらにそれを聴くことが「お洒落」だというイメージを植えつけることにも、まんまと成功したのだ。

私は4台も持ってしまっているのだけどね。(笑)

こうした装置を手に入れ、一度でも脳に「味を覚えさせてしまう」と、いつでも好きなときに何度でもそれを再現したいという欲求が生まれるのは当然のこと。

 

  

だが購入した楽曲に対して「ダウンロードしたPCでしか聴けません」、「音楽CDを作るのはダメです」といった制限がかかると、咀嚼欲を制限されることになり、そこから不満足感が生まれる。

欲を自分でコントロールする分には問題ないが、他者から制限されると反発が生まれる。

残念ながら日本の音楽業界のオエライさん達は、最も肝心な部分を理解、というか体験をしていなかった。

  

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Music Store の仕組みや iPod iPhone との関係は、こうした欲を満足させ、さらに欲求を求めるという利用者の心理を理解し、満足させるシステムとして機能している。

アップルは、著作権に厳しい日本でさえ、徐々にだが他国と同じ条件を引き出しつつある。

「アップル教」は、カネや権利を主張するのではなく、脳の仕組みから生まれるユーザーの気持ちを大事にする若者の支持を、まず獲得することに成功したのだ。

  

 

自分の気分にあった音楽を選択し、いつどこでもどんな時にも、トランス状態を作り出し、それを自由にコントロールすることができる iPod。

あとはそれをどう使うかだ。

こうしたシステムを、未だに使ったことがない、あるいは持っていても使わない、使えない人というのは、たぶんあそこらへんに「ぺんぺん草」が生い茂っていることだろう。

ご愁傷さま。(笑) 

 

 

アマゾンは過剰包装か?

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アマゾンで注文すると、大したことがないものでも、すごいものが送られてきたような気分になります。

理由は過剰包装?なわけですが、この箱はよく見ると、リサイクル可能なダンボールなんですね。

amazonpackage.jpg

配送業務を定型化・規格化することによって無料化を実現しているらしいのですが、配送料無料の箱でなおかつリサイクルに協力できるわけで、文句を言う筋合いではないわけです。(笑)

で調べてみると、アマゾンでこういうページを発見。

  

Amazonフラストレーション・フリー・パッケージ(FFP) よくある質問

このサイトには、次のような質問のQ&Aがあります。

   

Amazon.co.jp が通常、商品を輸送箱に入れて配送しているのはなぜですか?

一度に注文した商品が、別々の箱に分かれて発送されることがあるのはなぜですか?

Amazon.co.jp は通常パッケージから商品を取り出してAmazonフラストレーション・フリー・パッケージに梱包し直しているのですか?

Amazonグループは梱包の無駄を削減するために、どのような取り組みを行っていますか?

   

読むと「なるほどね」となるわけですが、現実には箱の中にまた箱、なんてのがあったりして、笑ってしまいます。

amazonclick.jpg

アマゾンはこれがあるので、ついクリックするんですねえ。

価格ドットコムと送料を含めた値段と、入力の手間の含めて総合評価すると、アマゾンなかなかやるのお・・

というわけです。(笑)

 

こちらには、Amazon のダンボール箱を使って、A4書類がピッタリ入るファイルケースの作り方がありますが、これもまたなるほど。

 

amazonpackagedoll.jpg

しかもアマゾンでは、こういうものまで売ってるんですね。

2205円!

しかも・・

この商品は人気商品のため、ご注文はお一人様3個までに限らせていただきます。複数のご注文をされている場合は、キャンセルをさせていただく場合がございますので、あらかじめご了承ください。

 

amazon-Mchart.gif

アマゾンの月足チャート。

私がアメリカでトレードを始めた1997年頃は5ドルくらいの株価でした。

1セント利益が出たときには、大ニュースとして取り上げられたくらいでしたからね。

継続は力なり。

ですね。

 

 

 

エイドリアン

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アメリカの友人で最も高齢だったのはエイドリアン。

たぶん今年96歳になるはず。

adrian01.jpg

というか齢を聞いたことはあるのだが忘れてしまった。

写真は彼の誕生パーティーでのショット。

 
奥さんに先立たれて長いこともあって、犬と住んでいるのだが、たぶん今も元気だろう。

とてもお洒落な人で、バーで彼の隣に座ったり至近距離で話をしていると、とても清潔なことがわかる、いい匂いが伝わってくる。

シェービングローションしかつけていないというが、怪しいものである。

独り者なのでディナーにはたびたび女性を食事へ誘うのだが、いつもモテモテだ。

ときどき、金目当てで近づいて来る女性もいたようだが、特に意に介してはいないようだった。


 

気を許した相手には「お迎えが来ない」とぼやくときもあったが、時間という目に見えない細かい粒子で磨かれた彼は、まだまだやり残したことがあるのだろう。

彼から学ぶことは多い。

まずは正真正銘のジェントルマンなのだ。

これはちょっとやそっとでは真似ができないというか、身に着き方が違うという言い方をしたほうが適切だろう。

 

何十年もかけて身につけた、よい習慣というものがこれほどまでに人を洗練させるのかという、まさに生き字引のような友人を持てるというのは、長い人生の中でもそうたびたびあるものではないだろう。

ということを知っているレベルの女性に、モテるのである。

 

なわけで、そこいらへんにいる男どもは、誰も彼にかなわない。

 

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シアトルに住んでいたときに一度だけだが、あるバーでしこたま酔っていい気持ちになったことがあった。

車を運転して帰れなくなったので、そのときに一度家まで送ってもらったのだが、かなり酔っていたのでよく覚えていなかったのだけれど、少し古めのアメ車のステーションワゴンだった。

 

彼は後ろのカーゴルームへ犬を乗せていたのだが、車内は犬臭くなかったので、気持ち悪くならなかったことを、何故か覚えている。

 

話をしていても、いつもユーモアを忘れないので、まともに話を聞いていると、ワケが分からんことになることがあるのが、唯一気をつけなければならない点だった。

いつもこざっぱりして、お金には困っていないことはわかるが、でもそれほど成金と言うわけでもなく、とにかく一緒にいる相手に、自然で余計なことを意識させないのだ。

 

私の記憶では、5年以上の間彼の口が臭かったことは、一度たりとてなかった。

すごいことだ。

  

というわけで、エイドリアンから見習うことはたくさんあった。

でもそういう友人がそばにいるというのが、どれほど幸せなことかということは、彼のいない日本へ戻ってから、身にしみてわかることになったのだけどね。

 

というわけでこれを書いているのだが・・

エイドリアン、元気かい?

 

 

戦略と戦術

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「戦略なき戦術」という言葉があります。

KidsRejistance.jpg

「木を見て森を見ず」というのもこの「戦略なき戦術」の一種といえるでしょう。

戦略というのは、わかりやすく言えば、全体の見取り図のこと。 

  

目的を達するためには、常に最悪の事態も想定しておく必要があります。

トレードで言えば、儲かった脱出ポイントを考えるだけではなく、カットロスのポイントを決めてからエントリーするということで、これはワンクリックシミュレーションでも繰り返し解説しています。

  

つまりエントリーした後でのカットロスポイントの設定は、「戦略なき交渉」になりやすいのです。

時間を無駄に遣い、トレードをギャンブルにしてしまうことにもなりかねません。

  
一方で戦術というのは、戦略の下位に相当する概念で、軍事的に言うと、一回の戦闘行為における戦力の使用法を戦術と呼んでいます。

ですが一般的には、ある目的を達成するための具体的な方法を戦術と呼んでいます。

たとえば会社に置き換えると、戦略を「株主や社員に感謝され、社会に貢献する会社」を経営者が目標にしていたとします。

 

その場合、法を守ることや実力に応じた人事、適切な商品開発、システムの改善、そしてリストラなど、ほとんどの改善策というものが、戦術となります。

つまり商品開発やリストラは目的ではなく「株主や社員に感謝され、社会に貢献する会社」にするための手段だということになります。

 

ではトレードの場合はどうなるでしょうか?

勝率、利益率、マネーマネージメントなどの個々の要因はいわゆる、戦術です。

その戦術を組み合わせて、自分の毎日の生活をどのようなものにするのか、あるいは、得たお金を何のために使うのか?というのが戦略になります。

 

では誤った手段や戦術を目的としてしまうと、どういうことが起きるのでしょうか?

   

   
個々の要因にこだわりすぎ、それが間違った方向へ進むということはよくあります。

たとえば、勝率はよくないが「儲かりさえすればいい」「儲けが出ていればそれは正しいやり方だ」という考え方があります。

資金がある程度大きくなってくれば、トレンドに沿っている限り、かなり低い勝率でもトータルで利益が出るようになります。

 

ですがそれは、ただ一つの戦術が初歩の段階で達成できているだけに過ぎないのです。

まず最初は損切りを薄くして、勝率が低くてもトータルで勝てるようになる必要があるのですが、そうした段階を過ぎると、次は戦術をよりブラッシュアップして勝率を上げるという次の目標を設定しなければなりません。

軍隊では指揮官のミスジャッジで、多くの部下の命を危険に晒すことがあります。

 

戦闘では同じ距離を侵攻するために、部下の死傷者をどれだけ少なくできるのかは、まさに指揮官の戦術の腕次第。

部下の命を失うことを気にしない指揮官のもとへ、優秀な部下が集まることはないということを忘れてはなりません。

  

  
では同じことを会社のケースにあてはめてみましょう。

売り上げは大きいが、利益が少ない会社は、いわゆる商品のヒット率が低いということになります。

または経費などの支出が多すぎるケースもあります。

 

ヒットを出せないいわゆる赤字の部門をどんどんと切り捨てて、儲かった部門だけを残すということは、ごく一般的に行われるやり方です。

ですがこれも程度問題です。

行き過ぎればリストラをやり過ぎて、会社の活力がなくなるなどという弊害で、最後はよくない結果となりやすいのです。

 

自動車メーカーなら、売り出す車種がすべて採算ラインに乗り、大ヒットするのが理想でしょう。

ですが、現実問題としては、そうはゆかないので、売れない車種は切り捨てるとかモデルチェンジをして対応することで、トータルで黒字にしているわけです。

  

  
まともな戦略を保持し続けるためには、自分の位置と実力を客観的に見ることができなければなりません。

この前提を見誤ってしまえば、どれだけ戦術をたくさん組み合わせても、結局長いスパンで見るとうまくゆかなくなるのです。

これは歴史が証明しています。

  

ですから会社がどの程度儲かってきたら、何のために会社を運営するのか?

ということを経営者はよく考える必要があります。

利益が出てくれば、自分の会社の従業員にこそ、利益を分配すべきなのではないでしょうか。

  

下請けを泣かせて、自分だけ儲かるような仕組みを作る、あるいは儲かっているのに従業員へそれを分配せずに給与をできるだけ抑える。

そうして利益を出せる会社にする。

これは日本の大会社に多く見られる、間違った戦略の結果なのですが、経営者はそれを正しい、あるいはこれこそが儲かる仕組みだと胸を張るのです。

   

   
見取り図という戦略がないままでトレードを始めてしまうと、とりあえず「儲かっていればそれは正しいトレード方法だ」という発想になってしまいがちです。

見取り図をつくったうえで、できるだけ短い拘束時間で利益を出す方法や、できるだけ負けない戦術を常に考える、などという本来の常識的な正論に従って、しっかりと検討し、時にはシミュレーションへ戻り、謙虚な姿勢で次のレベルへと一歩ずつ進むことは大事なことです。

  

マーケットの指数を見ながらマーケットが強いときは積極的に進み、トレンドがハッキリしないときはトレードの数を抑えるなどという考え方を「戦略的思考」と呼びます。

つまり戦略的思考というのは、自分が置かれている状況を正確に把握して、位置づけを客観視できる能力が備わって、初めて可能になる発想だといってもいいでしょう。

  

  
ですがだからといって、見取り図さえあればいい、という問題でもないのです。

そうしたレベルが達成できると、次には儲けたお金を使って、自分の人生をどのように変えたいのかというレベルの戦略を持っているかどうかが問われることになります。

 

好きになった相手と共に過ごしたい、交際したいという目的で、ストーカーという戦術をとってしまうと、その夢が叶うどころか、逆に警察に逮捕されることになってしまいます。

このような例だとよくわかるのに、トレードになると何故見えなくなるのでしょうか。

 

欲と恐怖の渦巻くマーケットに「どっぷりと嵌っている」時間が長くなると、精神的なバランスをとることが難しくなってきます。

ですから時にはそうした世界から離れ、違う世界へ身を置いてみる、というのが有効な戦術になることもあるのです。

 

目的とする戦略のために、そのときに最適な戦術を選択し、効果的に使えるように精進する。

これこそが最もやりがいのある、、究極の戦略なのかもしれません。

  

  

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