2012年03月16日 のCoolに過ごそう

推定力を磨け!

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日記を書くときに必要な要素というのはどういうものなのだろう?

そうした要素を細分化して羅列すれば、何が必要で何が重要かを推定することができるかもしれない。
 
あるいは、今まで見えなかった何かが見えてくるかもしない。

というわけで、そうしたいわゆるアイテムを並べて、多分こうだろう、こうしたほうがうまく行くだろうという決定に繋げて見ようと思う。

こうした能力というのは、仕事をこなすうえでも十分に役に立つはずだからね。

 

 

このような作業は別の言い方をすると「雑務能力」と言うことになるのかもしれない。

だが雑務能力をバカにしてはいけない。

仕事のできる人というのは、えてしてこういう能力に長けているケースが多いのだ。

 

雑無能力と言うと、そういうのって「秘書の仕事」じゃないかと思われるかもしれない。
 
だが、そういう秘書の仕事内容を吟味しながら、秘書が行う事柄の取捨選択や時間配分などのバランスがよいかどうかを決定し次のステップへ進めるためには、やはり、ボスの決定が必要になるのだ。

 

たとえばミーティングを行う場合には、場所の設定、予約、資料の用意、案内の作成と配布、郵送、手配、確認などのさまざまな要素がある。
 
その按配や出来具合は、最終的にボスが調査し、推定しながら、最終的にそれでよいのかどうかを見通すチカラに依存することになる。

だがこうした能力は、日記を書くときにも大いに役立つはず。

 

クリスボッティーの魅力の例で説明すると、まず動画を一通り試聴し、どれが自分にとって魅力だったかを特定する。

この日記では、ここが一番大事で、日記では大半を、このリンクする動画の選択がポイントとなっている。
 
さらに日記を長くしたいのなら、その楽器についての説明はあったほうがいいだろうし、その楽器の特性についても触れることができれば、よりその魅力について深く伝えることができるわけだ。

 

そのためにはその楽器のことを、よく知っている必要がある。

アレンジを勉強したことがある人なら、その楽器の音域や、可能なフレージングなどについても知っているはずだから、そうした点について触れることができるだろう。

そして、主役となるクリス・ボッティーだけではなく、サポートをするミュージシャンやゲストが、過去にどういう経歴を持ち、どんなアルバムを出しているかなどといった点について触れようとするならば、あらからじめそうしたCDあるいはDVDを聴いている必要があるはずだ。

もしそうでなければ、資料を調べておく。

   

だがそうして集めた資料を客観的にただ並べるだけなら、誰にでもできるだろうし、それだけで面白い日記が書けるわけではない。

その日記が面白くなるかどうかは、DVDを見て自分が感じたことを表現するために、そうした資料をどのように使い、どの程度記述すればいいのかを決めるプロセス委ねられることになる。

つまりここの匙加減をどのようにするかによって、クドいものになったり、物足りなくて面白くなくなったり、通り一遍で個性のないものになったりするわけだ。

どの程度のものなら、それを読んだり話を聴いたりした人が、面白いと思うのか、また興味を抱くのかという、フィードバックを体験したりあるいは自らすすんで経験した人であれば、そうした按配を決めることは造作もないはずだ。
 
  


だがそうした体験もない、いいかえればデータベース化された情報を自分で持っていなければ、そうした匙加減をどうすればよいかはわからないことになり、えてして的外れであったり、あるいはギャンブル的な成功確率に終始することになるだろう。

自分が持っている感覚的な部分を、客観的に表現するために必要な資料をどのように配置し、どの程度の分量があればいいのかということは、優れたサンプルを分析することでもある程度はそのノウハウを得ることができるだろう。

ノウハウ本が売れる理由は、どの分野であっても、「こうした部分」を知りたいというニーズが、とても強いからなのだと思う。

 

書くための動機

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日記を書くときは「ほめられたい」とか「面白がらせたい」とかという結構不純な動機ばかりで、どうしても書きたいことがみつからないので、書いたものがどうも面白くなくなってしまうような気がします。書きたいテーマを探すといっても特別ないし、またウケ狙いばかり考えてるなあと、まじでヤバイかんじです。どうすればいいでしょうか。

というメッセージをいただきましたが、動機なんていうのは誰も同じだと思いますね。

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面白いネタがないかとか、どうしたら面白くなるかと考えるのが不純なら、私なんぞは、不純の固りです。(笑)

あまり深く考える必要はないと思いますけど。

 

カッコいいことや面白いことがなければ、カッコ悪かったことや、知られたくないこと、思い出したくないことなどを正直に書くというのは共感を得られやすいので、大いにありだと思います。

「スイミング」というテーマで書いた日記を例に挙げると、スポーツクラブに通っていてドンドン泳げるということばかりを書いたのでは、「へーえ」で終わってしまいがちになるはずです。

そこで最初は泳げなかったことや、ターンの練習をして水を飲んだとかいう、カッコ悪かったことを正直に書くことで、共感を得られる日記になったのだと思います。

このように、カッコいいと思われやすいかもしれないことを書くときには、カッコ悪かった体験や、思い出したくないことを混ぜることで、ダシが効くというわけです。

ちょっと違うかな?・・でもまあそういったような効果はあると思います。(笑)

 

書きたくないことを書くときには、どう書こうとか、ここまで書いてもいいだろうかなどといったような、葛藤やいろいろな感情が生まれます。

ですからいざ書きはじめると意外な展開になるかもしれませんしね。

正直といっても、洗いざらい書かなければならないというわけではないわけですし、自分で書けると思うレベルまで適当に変えてもかまわないと思います。

つまりここまで書いたら、こう思われるのじゃないかとか、こう書いたらどう思われるだろうか、などといったことは一切心配することはありません。

 

人はそれほど他人のことに、いつまでも関心があるわけではないはずです。

あなたが体験したことや書いたことというのは所詮他人事なのだということがわかるようになれば、人のことは余り気にならなくなりますから、そうなればもっと気軽に書けるようになると思います。

よーし、もっと過激に書いても大丈夫なんだ、もっとこう書いてみよう、などとある意味で開き直る気分で書けるようになれば、しめたもの。

自分で自分を余り意識しなくなると、そうした心理的なバリアがなくなり、かなり自由うにドンドン書けるようになるはずです。


 

日の出

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今日の朝、酸素カプセルから出たとき、目に入った景色。

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いつもと違うと気がついたなら、そういうあなたはエライ。

 

続きはこのあとの日記に掲載。

 

そんなに急いでどこへ行く?

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先日ふとコーヒーを飲みたくなり、繁華街に位置するスターバックスコーヒーへ立ち寄ったのだが、コーヒーを持って、ガラスのドアを押して外に出ようとしたら、外からちょうど人が入ってきた。

こちらが先に出ようとしているのに、お構いなしだ。

少し待てばいいのだから、どうそお先にと待つことにした。

後ろにも店の外へ出る人が続いているから、ドアを持って開けていたら、後ろの人は大慌て出てきたが、私の後ろの人は、その後ろの人のためにドアを開けておこうということまでは気が回らないようだ。

続けてその後ろの人のためにドアを開けていたら、そこで気がついた人は慌てて「ありがとうございます」と、申し訳なさそうに礼を言ってくれた。

 

 


すこしホッとした空気が生まれたが、それは伝染することなく消えてしまった。

プレッシャーも伝染するが、リラックスだって伝染させることができるのだけれど、周りの人たちは、心そこにあらずの状態だった。

一息入れるためにコーヒーを飲むのだから、もう少しリラックスすればいいのに、この駅の近辺は特にそうなのかもしれないが、みんなまるで何かに衝かれているようだ。

少なくとも私の目にはそう映る。

 

日本では車を運転するときには、道を譲るという一日一善を励行しているが、これは結構応用が利くため、急いでいる人がいれば先に行かせてあげるようにしている。
 
そうして意識した状態で周りを見てみると、みんな思いやりがなかったりするのではなく、時間に追われることでそうなってしまっているということがよくわかる。

急ぐと他の人が見えなくなり、障害物のように思えてしまうのだろう。

ペースがあまりにも速すぎると、思いやりがなくなり、無礼な態度にもなってしまい、それが当たり前になってしまう。
 


時間がないとこぼす人は多い。

正確に言うと「自分のやりたいことをすべてやるための時間がない」だけなのだ。

自分勝手な目標を達成することとの引き換えに、人に対する思いやりの気持ちを失っていることに気がつかなくなってしまう。

だがこうしたことに無関心でいると、そのツケは必ず回ってくるものと、相場は決まっている。

急いでいる状態が続くと、とっさに急いで行動する習慣となり、その「とっさの反応」が適切な判断に取って代わるという事態が生まれることになる。

 

TrafficJam.jpg

 

じっくり検討するという余裕がないから、慌てふためいて判断することになる。

車だって、スピードを出しすぎると、コントロールがだんだんと効かなくなってくる。

常に急いでいる人は、人間の心も同じことだということを忘れているから、急ぐ心で過ごしているという状態は、オーバースピードで走っているのと同じリスクを背負っていることになる。

すると周りに気を配ったり、警告のサインを見落としたり、事故を防ぐための判断をするための時間がなくなったりして、物事を的確に判断することができなくなってしまう。

ただ反射的に行動することになり、それが繰り返される。

 


このように感情的な反応、同質の欲求が繰り返されると、それが強い衝動に代わり、ちょうどタバコをやめられなくなるように、習慣性を持つことになる。

急ぐ大人に急がされて育った思春期の人間が、突拍子もない衝動的に見える行為で事件を起こすのは、こうした、「急ぐ心」が生み出したともいえるのではないだろうか?  
 
「急がず、慌てずにこの方法を身につけてください。」

セミナーでは、最後に常に繰り返している言葉だが、その言葉には先ほどから書いているような意味を込めているのだが、急ぐ人は違う意味に理解しているかもしれない。

 


あまりにも多くのことを一日に詰め込んでしまうと、自分が遅れているように錯覚することがあるのは、誰もが一度は体験していると思う。

皮肉なことに、急げば急ぐほど結果的に時間を失い、時間を締め出すことになってしまう。

一日をゆったりとした気分で過ごし、毎日起こることに対して注意を払いながら、優先することだけに集中するようにしながら生活するということを、私たちはつい忘れてしまう。

とくにパソコンや携帯電話を使っていると、そういう傾向に拍車がかかる。

だから、「急がない」ことを少し心がけるだけで、イライラやストレスを減らし、自分をコントロールしながら、充実した毎日を過ごすことができるのではないだろうか。

ちょっと気分を変え、ゆったりとした気分で一日を振りかえりながら、日記を書いてみると、意外に書くことが見つかるかもしれない。


時間の使い方の最も下手なものが、まずその短さについて苦情をいう -ラ・ブリューエール

 

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