2012年07月17日 のCoolに過ごそう

氷柱

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今日は暑い!

というわけでちょっと涼しげな写真をアップ!

場所は三宮センター街。

 

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センター街2丁目

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通る人が皆目を奪われるのは?

 

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真横からのショット

 

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正面から見ると・・

 

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氷の中に花が閉じ込められているように見えますが・・

 

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上から覗くと・・(笑)

でも見るからに涼しげ・・

 

 

 

何のために書くのか?

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ネットでは予想外に面白い日記や読み物を見つけることがある。

そういうのにたまたま出くわすと、なんだかとても得をした気分になる。

なぜなら基本的に、ネット上のタダのものにはハナから期待していないからだろうね。

だけどそうした点を除いても、本屋でわざわざ買う本なんかより、遥かに読みごたえがあり、それでいて刺激的で、面白いものだってあるのは事実だ。

 

じゃあ、そういう人は、プロの書き手つまりライターなのかというと、意外や意外にそうではないことが多い。

何故だろうか?

理由は簡単だ。

それは、ほかに本業があるからだろう。


本業があるからこそ、予想外の理由である気分転換などによって、高いモチベーションが昂じると面白いものが書けることに繋がるのではないだろうか。

こうして考えると、プロのライターとアマチュアのライターを分ける境界線というのは、単なる面白さや、書く力などだけでは区別できないということになる。

本の原稿料について書かれている本を読めばわかるが、年収ベースで考えると、一般の仕事の方が高いケースが多い。

 

たとえば編集者の方などは、どういうものを書けば売れるのかとか、何が面白さなのかを知っているわけで、中にはさらに書く力のある人だっているわけだが、プロのライターになる人は意外と少ないようなのだ。

プロのライターとしてやってゆこうと考えると、意外とキツく、時間に追いかけられるから、収入だけで考えれば、意外と割が合わない仕事だといっていいだろう。

高収入を上げている人は、ごく一部のベストセラーを連発できる作家か、たまたまベストセラーになった一部のライターだけで、その確率を考えると、決して割りのいい仕事ではないのだ。

 

つまりもともとが書くのが好きで、普通の仕事をしたくない、あるいは務まらない人がプロのライターになるのではないだろうか?

という結論になってしまう。

  

 
私の日記なんかにも時々、本を出さないのかというコメントがつけられるが、とんでもハップン駅まで10分!(笑)

日記やエッセイ調のものっていうのは、有名人や作家が書いたものだから売れるのであり、無名な書き手が書いたものなんて誰も買わないのだ。

その日記だって、今の仕事をしているから時間があり、いろいろなところへ出かけることができるので、何とか書くことが見つかっているわけで、年中机に向かって、プロとして書くようになったら、多分何も書けなくなるだろう。

 

それに売れる数だって、アメブロの読者数から推測しても、せいぜい数千部売れれば御の字、ということになるのではないだろうか。

書いているうちに、なんだかこういう結論になってしまった。

じゃあ何のために書くのか?

 

まず自分の未来に今を振り返って見ることができるるというメリットがある。

そして、書くことによって、今日の自分を客観的に見ることができるわけだ。

最後に、自分に課したノルマを達成できたという自己満足。(笑)

 

つまり自分のために書いているのだ。

なんてことがわかったりするわけだ。(笑)

 

 

味覚を磨く

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日記では時々マーガリンやショートニングの危険性に触れることがあります。

ですが特定の食品の危険性だけを取り上げるのが目的で、書いているわけではありません。

添加物や怪しげな製法で作られたものでも、使いようによっては恩恵を受けられるという側面があります。

 

自分で作れば数時間かかるものが、加工食品なら数分でスーパーやコンビニで、いつでもどこでも簡単に安く手に入れることができる。

あるいはすぐに腐ってしまうはずのものが、長持ちしておいしく食べられるなどのメリットもあるわけです。

ですが、それだけに目を向けて、毎日そうしたものを日に三度口に入れていたら、どうなるでしょうか?

年に1,000回以上口からカラダへ吸収されるものによって、体は確実に変化してゆきます。

 

TasteB.jpg

  

ほとんどの人は「大手スーパーで売っているのだから、変なものであるはずがない」とか「名の通った一流メーカーのものだから大丈夫だろう」あるいは「TVのワイドショーで取り上げていたから間違いない」などと、無邪気に信じたものを毎日食べています。

一方で本屋へ行けば、体に与える害や毒性だけに注目し、その危険性だけをあげつらうようなタイトルが、少なからず目に飛び込んできます。

「何々は危険だ」とか「あれは食べてはいけない」などと声高に主張し、危険性を煽って本を売りたいかと思うような内容のものも、見受けられます。

 

ですが我々は、それらすべてを自分で実験し、自らの目で確認するなどということはできません。

それを「信じるか信じないのか?」の2択しかできないのです。

そんなことを言ってたら、食べるものはなくなるから「何も考えずに、食べたいものを食べる」。

あるいは「自分で調べていいと思うものだけを食べる」。

という選択において、面倒なことを避けたいがために、ほとんどの人は前者の道を選ぶのです。

その結果は言うまでもありません。

 

 

私は後者の道を選択しました。

ですが、それほど「面倒なことをやらなければならない」というわけではありません。

まず調べたい本の内容がどの程度の整合性を持っているのかです。

ある程度の信頼性を確認し、そのジャンルで信頼できると思われる複数の本で、検証してゆきます。

 

私は本を早く読むことができるので、普通の単行本なら、ざっと内容を把握するには、20分もあれば十分。

本は最新のものでなければ、アマゾンで Used  つまり中古を探すことで、半額から4分の一位の値段で手に入れることができます。

つまり複数の信頼できそうな筋からウラを取るわけです。

もちろんその結果を楽しみながら読むわけですから、ちっとも苦になりませんし、まとまれば日記のネタにもなります。^^

 

ですが最後に頼りになるのは自分の舌です。

こだわりのある蕎麦屋は、ほとんどが材料を厳選し、味で勝負しています。

ですからそうした類のレベルのものをコンスタントに食べることによって、舌が学習し、やがて「違い」がわかるようになります。

 

今では、インスタントラーメンやスナック菓子はめったに口にしませんが、昔はそういったものも食べていました。

ですが、今ではそういうものを食べると「おかしな後味が口に残って気持ち悪くなる」ため、化学調味料やたんぱく加水分解物を「頭」ではなく「舌」が嫌がるのです。

添加物をなるべく避け、手づくりの食生活を心がけていると「混ぜモノ」の味がわかるように、味覚が変わってゆきます。

 

ですがジャンクフードによって「舌」が麻痺したらもう一生ダメ、というわけではありません。

禁煙と同じで、いつはじめても、遅すぎるということはないのです。

 

意外に難しい映画評

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皆さんは、DVDを含め1か月どれくらいの映画をご覧になるだろうか?

私はスターチャンネルで放送される映画は、ほぼすべて見ている。

だから映画評というのは、困ったときのネタとしては助け船にもなるわけだ。

だがブログで書かれた映画評で面白いものは意外に少ない。

その理由は脚本と同じ。

短いものはどうしても構成を考えず、流れで書いてしまいがちだ。

だからといって、ストーリー紹介や制作陣一覧を羅列して長くすると、やはり面白くなくなってしまう。

映画のオフィシャルサイトで見ればわかるものを並べると、字数稼ぎ見えてしまうからね。(笑)

 

では面白い映画評を書くには?

テーマを少なくとも3つ以上決めてから書く。

これだけ。

ホントか?(笑)

 

ボーン・アルティメイタムを例に挙げると、この映画評では4つのテーマで構成している。

最初のパラグラフは「三作目はよかったのか?という結論から書いている。

2番目は「どうよかったのか?」 は2部に分け、2番目はスピードについて言及している。

2枚の写真の後からの記述が3番目の「印象に残った点」。

4番目に相当するラストのパラグラフは、映画の内容とは直接関係ないことも含めた「エンディングとまとめ」

 

構成としてはオーソドックスなスタイルだ。

このように、大きな流れを頭に入れて書く。

下はその部分を引用してみたが、このパラグラフでは、スピード感について様々な角度から記述している。

このように一つのテーマだけで書かれていると、これだけの行数の内容でも、混同することがないため、目からアタマへスッと入りやすくなるのだ。

   

特に追っ手の殺し屋との目にもとまらぬ速さの殺陣は、早すぎて何が何だかわからなくなるほどのレベルに達している。(笑)

気がつくとボーンが、相手を仕留めていたという案配の、一歩間違えると禁じ手となるラインのギリギリまで踏み込むことで生まれるスピード感は、観るものの認識力のほぼ限界にまで達しているのではないだろうか。

こうしたスピード感溢れる展開によって、ゾクゾクするような興奮を味わうことができる度合いは、前作を遙かに上回ると断言できる出来映えとなっている。

そのため、映画を見ている人の中には、余りの画面転換の速さで、気分が悪くなる人が出てくるのではないかと心配になるほど。

巧みな緩急のつけ方によって、観客の興奮をダレさせることなく最後まで継続させるその手腕は実に見事で、とにかく製作陣の気合いと心意気が、画面からビシビシ伝わってくる。

  

いってみれば映画と同じですね。(笑)

ブログでは映像ではなく、文字で面白い日記という作品に仕上げるわけです。

 

 

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