きっかけ8

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きっかけ7で書いた、やり遂げなければならない「あること」というのは、家族の再構築でした。

私が20歳になり音楽で東京で出て数年後、箱の仕事(店との長期契約での演奏)のため、1年ほど北海道にいたことがあったのですが、その頃2歳年下の弟が私を頼って北海道へやってきたのです。

それから数年後、父の浮気が遠因で母親は6千万円を持ち出し、両親は離婚。

  

弟は北海道で、父の出資を受け店をやることになったらしいのですが、父が出資を取りやめたのが原因で、大喧嘩となり、それ以後犬猿の仲となってしまったのです。

弟は母の元へ転がり込み、母の持って出た6千万円を元手に、金融の仕事を始めたのですが、結局はうまくゆかず、母は全てを失うことになります。

 

私は7年ほど東京で音楽の仕事を続けましたが、才能を見限って仕事を辞め、丁度父が離婚をしたあとの再婚相手との離婚で、父が母親の面倒を見なくてはならなかったこともあって、父の元へ戻ったのです。

私は丁度その頃からパソコンと出会い、音楽を教える仕事に加え、パソコンソフトのテンプレートとして文例集を販売する仕事を始めたのです。

  

弟は金融で失敗をして職がなく、父との折り合いは悪かったのですが、私の会社で営業の職を与えました。

幸いなことに、その分野で弟は才能を発揮し、会社はどんどん大きくなってゆきました。

あるときに「裏島太郎」という一太郎の操作を書いたテンプレートが大ヒット。

社員の数はどんどん増えていったのですが、あるとき弟は営業部隊を引き連れ造反、私の会社と同じような会社を設立。

私の会社が新製品を出す前に、同じような製品を売り出すというやり方で、ほとほと困ったことになってしまったのです。

    

当時のディストリビューターのトップであったソフトバンクの、宮内さんへ相談したことがあるのですが、「兄弟喧嘩だからなあ・・」と苦笑い。

というわけで打つ手はなかったわけですが、いくら営業力があっても、製品を開発できる力がないため、結局弟の会社は倒産してしまいました。

弟の家族全員は、結局母親の元へ身を寄せたのですが、弟は病気のため40歳半ばで他界してしまいました。

      

丁度文例集の会社を設立した頃、父が前立腺癌であと半年という診断を受け、急遽相続を見据えた不動産の処理が必要となり、不動産という仕事との「2足のわらじ」を履くきっかけとなったのです。

1990年頃には最初のマンションを建て、連続して3棟のマンションを建てたのち、アメリカへの不動産投資のため、1992年頃から渡米することになりました。

そのころカミサンは、父の母親の面倒をよく見てくれていたのですが、父の3人目の妻と我々の折り合いが悪く、私たちは家族で渡米することにしたのです。

     

アメリカでの不動産事業が順調に回り始めた1996年の暮れ頃、突然解雇されることになったいきさつは、今までにも何度か書いています。

まさに「青天の霹靂」でした。

私の弁護士団の出した結論は、父の3人目の妻と弁護士による「お家騒」というか乗っ取りというものでした。

論より証拠、私の長男としての相続権廃除の訴えが、最後に家裁へ提出されることになったのです。

     

日本とアメリカの両方での裁判はまさに金食い虫。

最後には家も売り、まさにスッカラカンの状態になったというわけです。

その後の顛末は きっかけ7 で書いたとおり。

この出来事が、私が現在のトレードの道へ進むきっかけとなったわけです。

      

2008年8月に神戸へ引っ越したのは、リタイアしようと考え、2008年の5月に父と会ったことがきっかけでした。

裁判ではすべて私が勝訴したのですが、それ以後10年以上父とは断絶状態となっていました。

老いた父と出会うきっかけになったのは、2008年1月に出した年賀状でした。

父からの返事は、「これまでのことは、水に流してなかったことにしたい」というものだったのです。

そしてその年の5月に父宅へ訪れた際感じたのは、寒々とした3人目の妻と、父との結婚生活の寂しさでした。

     

父は、何が原因でそういうことになったのかは、いまだに知りません。

社会に出て、人間関係に揉まれていない父を言いくるめるのは、3人目の妻と弁護士が組めば、まさに赤子の手を捻るほど、簡単だったはずです。

3人目の妻は、私の前では何事もなかったように振る舞っていましたが、内心はどうだったのでしょう。

      

神戸へ引っ越してからは、10年間の溝を埋めるため、毎週末神戸から千里にある父の自宅へ通うことにしました。 

ほどなくして、父は千里にある千里タワーへ引っ越したのですが、一緒にランチを食べるため、ほぼ一年の間、毎週末に父と顔を合わせることにしたのです。

そしてあるとき、神戸の私が済んでいる自宅へ案内したことがきっっかけとなって、同じ建物へ引っ越すことになったのです。

     

ランチミーティングには、父の3人目の妻も分け隔てなく誘っていたのですが、彼女はたまに顔を出すだけ。

今更彼女が黒幕だったと父に話しても仕方ないことでもあり、我々の代わりに父の面倒を見てくれたわけですから、その点では彼女に感謝していました。

なぜなら2008年1月に出した年賀状への父からの返事をきっかけに父と会ったとき、父と3人目の妻のやったことは、許すと心に決めたからです。

   

ですが神戸へ引っ越す前から、彼女の挙動は、徐々におかしくなってきていました。

食事も作らず、掃除もせず、風呂も入らないという、信じられない状態が続くようになったのです。

仕方ないので神戸に父の夫婦が越してからは、カミサンが二人分の食事を余分に用意し、夕食を共にすることにしたのです。

    

結局、父の世話もできず、自分の身の回りのことも、まともにできなくなってしまったため、父とは離婚。

そして老人用の介護施設で過ごすことになってしまったのです。

納税時期になると、警察が調べにやってくる・・などと口走っていたことから、彼女は自分が私の家族に対してやったことに対し、かなりの罪悪感を感じていたのかもしれません。

彼女の口から告白されることはなかったのですが、結局私が保証人となって、施設へ入所させ、カミサンも時々見舞いに行くことになろうとは、誰が想像できたでしょうか。

    

こうしたことをきっかけに、自閉症の息子と3人に父を加えて4人となったため、神戸の同じ建物の上層階の広い部屋へ引っ越すことになりました。

そして父は私を全面的に信頼してくれることになり、父の税務面などの全てを私の会社が請負うことになったのです。

こうして、ファミリー全体でのビジネスモデルを見直すことで、馬渕家トータルでは今までにない良い状態への変革することができたのです。 

     

アメリカに住んでいるときから、お金を失った母親へ、毎月仕送りをしていました。

神戸へ戻ってからは、母の実家や世話になっていた私設の老人ホームで、自殺を図ったため、温泉病院へ入院することになり、生活保護を受けながら余生を過ごすことになったのです。

父は母のことについては、いまだにいくばくかの遺恨を抱えているようなので、泉病院での保証人を私が引き受けたことを含め、父には母のことは内緒にしていました。

誕生日や母の日などの節目には、カミサンと顔を出していたのですが、去年の8月末、狭心症でこの世を去ってしまいました。

     

こうして私の3人家族と、2年前の秋に結婚した長女に加え、間もなく93歳を迎えようとする父だけになってしまったわけです。

長女は来年の3月頃出産の予定で、父は今までで最も幸せな気分で、毎日を暮らしています。

カミサンが、私のことをエライと褒めてくれたのは、後にも先にも、父へのこうした親孝行でした。

     

ですが、和解の年賀状を出すことは、先に父を亡くしたカミサンが言い出したことだったのです。

食事の世話を含め、カミサンの手助けなしでは、父の心への平穏は訪れなかったでしょう。

カミサンがいなければ、今の馬渕家の幸せはなかったはずです。

    

私の同世代を含めた、友人や親戚の家族関係を改めて見渡してみると、どの家族にも大なり小なり、何かの問題を抱えているのが現実です。

どこまで修復できるのかは、ひとえに誰かがその気になって、根気よく家族のために、どこまで骨を折るのかにかかっています。

自分の子供や孫などの将来を考えると、これこそが最も大事な仕事なのではないのだろうか?

アメリカでの苦難がきっかけで、私の価値観は大きく変貌することになったのかもしれません。

      

こうした難事業のために必要なのは、家族全員が幸せになって欲しいと願う「心」です。

しかし、この事業は損得でやる性質のものではないだけではなく、無報酬でやらなければならないのです。

そのため、伴侶の助けは、事を進めるための何よりの強い味方となります。

ですから、前提としてまず自分の伴侶との家族を幸せにできていないと、叶わない事業でもあるのです。

   

この難事業と比べれば、家族の生活を経済面から支える仕事というのは、とても簡単なことに感じられるのです。 

    

続く・・

     

きっかけ1-6

 

 

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