毅然とした姿勢のない日本

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2人の日本人が過激派組織「イスラム国」に拘束された事件は、2015年1月31日午前8時)時点では、いまだに解決していない。

人の命がかかった事態に、シロートが余計な口出しをするのも何なので、一切触れなかったが、「テロに屈しない」態度と「人命を第一に考える」方針は両立しないのだ。

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「テロに屈しない」ためには、「テロリストとの交渉に応じない」ことが条件になるのは当たり前の話。

要求は無視。人質の生命は好きにしろ。

その代わり、われわれは今後君たちを罰するためにあらゆる手段を尽くすだろう。

 

これが本来の筋であり、世間の常識というものではないだろうか?

交渉の経過がどうなっているのかは知らないが、テロリストの要求に耳を傾けなければならないこと自体、何も変わらないのだ。

 

「テロに屈しない」ためには、人命が犠牲になる展開を覚悟する。

「人命を尊重」するためには、ある部分でテロに屈する必要がある。

 

だが、安倍晋三首相や外務省は、人質の救命を最優先に行動することと、テロに屈しない旨を同時に表明している。

そしてそれらを何度も繰り返しているが、よく考えれば、2つの言葉のうちのどちらかはウソなのだ。

  

政府が掲げている2つの方針は、はじめから、相容れない矛盾をはらんでいるが、これをバカなマスコミが繰り返すため、誰もがそう思っている節がある。

いわゆる洗脳だ。

こんなバカなことはやめよう。

   

日本人の人質に危害を加えた場合、日本は断固とした処置で対応する。

一国の主たるものは、断固とした姿勢でこのことを伝える。

あとは側近に任せておけばいい。

この一言を言えば済むハナシだ。

 

どうせできることは限られているわけだし、二人の命はどのみちテロリストが握っているのだ。

  

日本は自衛隊という立派な軍隊を保有している。

だからいざとなれば、実力行使も辞さないという姿勢をチラチラさせながら交渉する。

これは国同士の、政治的な駆け引きの、最も基本的な姿勢なのだ。

 

拉致問題の解決も、こうした政府の断固とした姿勢がないため、ナメられたまま。

こういうときにこそ、北朝鮮お得意の「無慈悲な攻撃」を匂わせるべきなのだ。

置換機能を駆使すればいいだけのハナシではないだろうか。

  

日本には、武士道という素晴らしい考え方があるではないか。

毅然とした堂々とした姿勢を示すことができないで、成果を勝ち取ることなどできないのだ。

 

 

 

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