生きがい

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気分のワープ」でいただいたコメントについて・・

 

そうですよね、人間として生まれて、もっといろんなコマンドを選択して生きていくことはできるのに目の前の選択肢は数パターンしかないように感じて前の日と20%と違わない日々をつい重ねてるもんですよね。

車か、確かに髪濡らしながらゆりかもめ乗ってたらスイミングスクール帰りの子供ですよね。

はっちさんの生きがい感じる時ってどんなですか?

 


生きがいを感じるときについて考える前に、まずその前に反対サイドにあるものについて考えてみたいと思います。

つまり「なんとなく空虚だと感じる気分」といえばいいでしょうか。

 

程度の違いはあっても、大なり小なりそうした「虚しさ」を感じた経験は誰もがあるはずです。

「虚しさ」と書くのはちょっと大げさな表現かもしれませんが、本当に今の生活が自分の求めているものなのだろうか?

といった疑問というのは、毎日の生活や暮らし向きをよくしたい、あるいはよくなりたいといういわゆる「向上心」が強いときに、頭をもたげてくるものではないでしょうか。

 

  

「気分のワープ」では・・

 

音楽の仕事に見切りをつけ、父の仕事を手伝うにつれ、それは私が独力で創り上げたものではなく、ファミリーとしてのビジネスを手伝うということだから、途中で自らの力で取り組もうとした「音楽」をあきらめたコンプレックスもあって「何かを全く一から自分の力で!」という気持ちがだんだんと強くなっていったからだろう。

 

と書きましたが、まさにこれこそが、何となく満たされない感じの源泉だったのだと思います。

 

 
人間は精神的に大きくブレると、躁鬱と分裂のタイプに別れる傾向があるのではないでしょうか。

私はこうした方面は専門家ではないので、断定することはできないのですが、今までの自分の回りの人間関係からという経験上の話からそう思うわけです。

 

分裂タイプは二重人格に代表されるように、現実に適応できずに一貫性も理屈もない傾向にあり、自分ではコントロールすることができず、どちらかの方向へ突っ走りやすいため、周りに迷惑をかけたり、問題を起こしたりすることが多く、そのために、わかりやすいというか見分けるのは、割と簡単です。

躁鬱タイプは現実的であり、矛盾や過去へのこだわりによって、落ち込んだり、その反動としてハイになったりすることが多いのですが、自分でコントロールすることは可能です。

 

私は分けるとすれば、躁鬱タイプです。

と断言したのには理由があります。

 

 
父がかなり重症の躁鬱だったとき、プロザックという薬を手に入れようと、躁鬱のフリをしてアメリカで精神科の医者へ通ったことがあるのです。

本来は本人を診断したうえで、処方してもらう薬なののですが、何とかして手に入れたいと、フリをすることにしたわけです。

 

Group Health というところの医療保険ではカウンセリングは1時間で20ドルほどだったので、数回通って最後に処方してもらい、プロザックを日本へ持ち帰り父に渡したのですが、それを飲む気力さえないという状態で、結局は飲まなかったのですけどね。

カウンセリングを受けるときには、さすがに嘘を言うわけにはゆかないので、仕事の悩みとかを持ち出してできるだけ鬱な気分になっているようにして、カウンセリングを受けたのですが、カウンセラーは何しろ話を聞くのがうまいわけです。

 

そうしてニセの鬱状態を演じながら「無理やり拡張した悩み」を語ると、不思議なことに、気分が晴れるんですね。

ときどきアメリカの映画でそういったシーンを見ることがあるのですが、まさにそういった風にしてカウンセリングを受けたのです。

 

そのときに、こういう本を読めばいいとか、こういう考え方をすればいいとか、アドバイスを受けたのですが「先生はそういった悩みとかはスラスラ解決できるのでいいですね」って聞いたら、自分ではなかなかそうはできない、とのことでした。

でも、それを聞いて何となくちょっと安心した気分になったことを覚えています。(笑)

 

だからこそ、そうしたカウンセリングが必要なのだそうで、確かにそう言われてみればその通りですね。

 

 
カウンセリングでは「そのときどういう気分になりましたか?」とか「ではどうしたいですか?」というように、カウンセラーは本人の口から話すように、実にうまく仕向けるのです。

はじめてこうした体験をしたときには「これはなかなか使えるぞ」って、ちょっと興奮したことを覚えています。

 

人は声として口に出すことで、その考えを自分の脳へ伝へフィードバックさせ、次のステップへ進めることが、自分でできるようになる潜在的な能力を誰でも持っているのです。

カウンセリングでそうした能力を引き出し、それを訓練することで、自分をコントロールする範囲を広げることができるのですが、ほとんどの人はそういった体験がないために、その部分の能力が眠っているのです。

実にもったいない話です。

 

 
もともとこうした方法は、カウンセリングがあることでもわかるように、自分にではなく、人に対しての方が効果的なのです。

人は基本的に人に対して自分の話を聞いて欲しいものなのです。

 

ですから誰かと話をするときには、こうした点を頭に入れたバランスで話をすると、短時間に相手の気持ちをリラックスさせることができます。

つまり打ち解けやすくなった状態で、コミュニケーションを図ることができるというわけです。

 

応用ワザとして、異性と楽しく話を盛り上げたいときにも、こうした視点から話の聞き方を工夫することで、自分の懐の中へ飛び込みやすい状態を、いとも簡単に作り出すことができます。

好みの異性が自分に対して、短時間で心を開いてくれることを感じたとき、それもある種の「生きがい」として強く感じるときがあります。

 

 
生きがいと言うのは、与えられるものではなく、自分の感受性を磨くことで、その基準や価値が多様性を持ち始める性質のものだと思います。

こうした点を訓練をすることで、さまざまなケースで、敏感に「生きがいと」感じることができるようになり、それがその人の「よりよく生きよう」というモチベーションをさらに強く押し上げるのです。

 

逆に言えば、そうした感性がなければ、同じ事を体験したとしても、生きがいとは感じないこともあるわけです。

異性に対して、また同性に対しても、生きがいを感じてもらえるような瞬間に居合わせる・・これこそが私の生きがいなのかもしれません。

   

ってシメが、ちょっとカッコつけすぎたな。(笑)

   

  

出展

   

2006年1月11日

 

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