なぜ書くのか?

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タイトルが単純なテーマほど、イザ書くとなると難しいもの。

オレの場合、自分のために書いている。

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神戸は久しぶりに、美しい青空が・・

   

これを書いたからといって、どこかから、原稿料がもらえるわけではない。

ちょっっとスカした言い方をすると、明日の自分のために書いているわけだ。

     

毎日の生活というのは、流されやすく、自分の思い通りに事が運ぶことの方が、少ないのが現実だ。

だからこそ、自分をインスパイアする方法でも書いたが、何かを書くときは、見る・聴く・嗅ぐ・触る・味わう という感覚を刺激するわけだ。

もちろんそれが趣味と連動すれば理想的だ。

 

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起きがけに空の写真を撮る、日記を書く、音楽を聴く、良い香りを楽しむ、おいしく体に良いものを食べる。

オレの日記は基本的に、これらの行為に何らかの関連したテーマで書いている。

つまり、ある種のパターン化をすることによって、更新が途絶えないような、工夫をしているわけだ。

     

だから毎日書くことは特に苦痛ではない。

3つくらいの記事は割と簡単に書くことができるのはこういうシカケがあるからだ。

ただし、気をつけていることがひとつある。

 

それは誰に対して書いているのか・・だ。

     

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基本的にWEBへ書くときは、誰かに読んで貰うためとか、フィスブックで、イイネの数稼ぎのためために書くわけではない。

なぜなら宇宙の仕組みというのは、今現在考えていること、行動していることが、明日の自分の未来へ何らかの影響を与えるようになっているからだ。

それを読んで、誰かが良い影響を受ければ、それに越したことはないが、基本的にはそういうことは考えずに書いている。

     

とはいえ誰かがこれを読んだらどういう気分になるのかを、一応は頭に入れてはいるが、それは二の次のハナシ。

だからといって、そうして書いたことが、将来の自分にどの程度影響を与えるのかを、定量的に推し量りながら、なんてことはできない相談だ。

なぜなら、毎日の生活というのは、物事の流れや、運、人間関係などに影響を受けながら、流れてゆくからだ。

       

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だが半年・あるいは一年など、一定の時間が過ぎた時点で、過去に書いたものを読み返すと、意外な「気づき」に出会うことがある。

だが書かなければ、そういうチャンスに巡り会うチャンスは生まれない。

これは厳然たる事実だ。

 

書くということは、考えていることを整理し、まとめ、目的に合った形にして、文字として残すという作業だ。

ではその残した文字を誰に読ませるのか?

オレの場合、それは自分自身。

   

だからこそ時系列、テーマごとに、過去を振り返ったときに、そのときの考え方がどうだったのかを点検できる仕組みというのが、大事になるわけだ。

もちろんこのあたりの考え方は人それぞれ。  

どれが正しくて、どれが間違っているのかなどは、誰にも分からない。

  

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だからこそ、とりあえずやってみるしかないのだ。

自分の独断と偏見を信じて方向性を決め、決めたらアクションとして、躊躇せず実行に移す。

これが大事。

   

とにかく何か書く。

これに尽きるのではないだろうか?(笑)

   

 

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