自閉症の世界に対していただいたコメントから、備忘録として追記。
家族が抱える様々な問題は、まさにケースバイケース。
どちらが大変か、という比較などできないうえ、解決のための答えは、自分で探さなければなりません。
自閉症の世界に対していただいたコメントから、備忘録として追記。
家族が抱える様々な問題は、まさにケースバイケース。
どちらが大変か、という比較などできないうえ、解決のための答えは、自分で探さなければなりません。
ビッチ度のトレンドを保持し、さらに磨くためには、何が必要か?
まずは、そのメカニズムを知ることだ。
「女性のためのモテるためのセットアップ」を!
というリクエストをいただいた。
「モテるためのセットアップ」というタイトルで勝手なことを書いたが、まさかの事態。^^;
ちょっと買いかぶりすぎだとは思うけれど、女性からそう言われて黙っているわけにはゆかないのが、オトコのツライところ。(笑)
どのようなジャンルの仕事であれ、コミュニケーション能力は、成果を大きく左右する要因といっていいだろう。
成果が経済的な支えとなるには、多少の時間はかかるかもしれないが、近い将来のあなたの経済状況へ、ダイレクトへ繋がっていると考えて間違いないだろう。
ということは、この能力をブラッシュアップすることで、将来の経済的基盤を盤石なものへと、変化させることができるかもしれないのだ。
先ほどのコラムで書いた「想像力そのもの」は、目で見ることはできない。
だが、それがもたらす結果は、想像力さえあれば、その実態がどうなるかを知ることができるだろう。
だが、想像力がなければ、違った現象にしか見えないのだ。
では実例を挙げて説明してみよう。
退屈な作業をやりとげようとする意欲の強い人と、途中であきらめてしまう人がいる。
こうした「脳の違い」が何故起こるのかを明らかにする研究が行われた。
と始まる WIREDのコラム をご紹介。
マルコム・グラッドウェル曰く「どんな才能や技量も、10,000時間の練習を続ければ「本物」になる」という。
また多くの研究から「成功を収めた人物は、熱意と、多大な努力を行う能力にも恵まれている」という現象が、明らかになっている。
□年収が年齢の10倍未満だ
□その日その日を気楽に生きたいと思う
□自分らしく生きるのがよいと思う
□好きなことだけして生きたい
□面倒くさがり、だらしない、出不精
□一人でいるのが好きだ
□地味で目立たない性格だ
□ファッションは自分流である
□食べることが面倒くさいと思うことがある
□お菓子やファーストフードをよく食べる
□一日中家でテレビゲームやインターネットをして過ごすことがよくある
□未婚である(男性で33歳以上、女性で30歳以上の方)
(『下流社会』(三浦展/光文社新書)より抜粋)
上記のリスト内で半分以上当てはまる項目があったアナタは、かなりの「下流社会」にいる人間なのかもしれない。
仕事というのは、ストレスがかかるもの。
売り上げや給料が下がるとストレスとなり、さらに人間関係という最もストレスの強い要素が追い打ちを掛ける。
こうして心理状態がアップダウンを繰り返すと、ストレスはさらに増大することになる。
このストレスに一番効く方法は、まず「心配」をなくすことだ。
仕事というのは、ストレスがかかるもの。
売り上げや給料が下がるとストレスとなり、さらに人間関係という最もストレスの強い要素が追い打ちを掛ける。
こうして心理状態がアップダウンを繰り返すと、ストレスはさらに増大することになる。
このストレスに一番効く方法は、まず「心配」をなくすことだ。
人の心に響く声で話す。
ここは意外な盲点となっています。
何か事を進める場合、必ず誰かと顔を合わせ、言葉でコミュニケーションを交わすことになります。
相手の心の奥深くまで届くよう、声を磨く。
普段からの密かな練習で、少しずつ身につけてゆく。
と考えただけでもワクワクします。
ある出版社の編集の方に直接伺った話では、出版不況はとどまるところを知らず、依然ジリジリと右下がりのトレンドを描いているそうです。
今日は活字離れの原因はどこにあるのか?という考察であります。
もちろん、独断と偏見での方向からの検証です。^^
ただし、裏づけは取っていないので、そのつもりで読んでください。
チェス名人に隠された才能の秘密」というタイトルの研究事例が掲載されていたことがある。
チェス、音楽、サッカーなど、さまざまな分野での「厳しい訓練」は成功を得るためのカギとなっているが、最近の研究によると、上達にとって重要なのは、持って生まれた能力よりも「動機づけ」 なのだという。
結論からいえば「成功のカギは才能よりもトレーニングだ」ということになる。
記事は、SCIENTIFIC AMERICAN編集部のRE.ロス氏の記事を翻訳したものだ が、トレードについて考えるときにも応用できる面白い内容のものなので、ここで備忘録を兼ね再構築してご紹介。
日記を書くときに必要な要素というのはどういうものなのだろう?
そうした要素を細分化して羅列すれば、何が必要で何が重要かを推定することができるかもしれない。
あるいは、今まで見えなかった何かが見えてくるかもしない。
というわけで、そうしたいわゆるアイテムを並べて、多分こうだろう、こうしたほうがうまく行くだろうという決定に繋げて見ようと思う。
こうした能力というのは、仕事をこなすうえでも十分に役に立つはずだからね。
先日ふとコーヒーを飲みたくなり、繁華街に位置するスターバックスコーヒーへ立ち寄ったのだが、コーヒーを持って、ガラスのドアを押して外に出ようとしたら、外からちょうど人が入ってきた。
こちらが先に出ようとしているのに、お構いなしだ。
少し待てばいいのだから、どうそお先にと待つことにした。
後ろにも店の外へ出る人が続いているから、ドアを持って開けていたら、後ろの人は大慌て出てきたが、私の後ろの人は、その後ろの人のためにドアを開けておこうということまでは気が回らないようだ。
続けてその後ろの人のためにドアを開けていたら、そこで気がついた人は慌てて「ありがとうございます」と、申し訳なさそうに礼を言ってくれた。
TVの前でタラタラと過ごすというのは、私の場合風邪を引いたときくらいなのだが、最近はそういう機会もないのだが、カミサンがつけているテレビをチラチラ見ている限りにおいても、よくもまあみんな「にわか評論家」となって、ああでもないこうでもないと、好きなことを言って解説ができるものだと思う。
その無節操さは「面白ければ何をやってもいい」という風潮から来ているのだと思うが、よく考えてみると、これは「儲かるなら何をやってもいい」というのと全く同じなのではないだろうか?
田舎に住んでいる純朴な人や、お年寄りの中には、TVで放送しているものイコール正しい、正確と思っている人も決して少なくはないはずで、これだけ同質な類似性が根底に流れているというのは、よく考えるとコワイことだと思う。