2012年03月15日 のCoolに過ごそう

ライアン・カイザー

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The Dream / Ryan Kisor

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ライアン・カイザーという、JAZZトランペット吹きのアルバム。

17才で、1990年のモンク・コンペティションに優勝。

その後リンカーン・センター・ジャズ・オーケストラ、カーネギー・ホール・ジャズ・バンド、マンハッタン・ジャズ・オーケストラなどのビッグ・バンドトランペッターとして活躍してきた経歴を持つ。

 


「カイザー」というクリフォード・ブラウンの作品を吹いているワンホーンのアルバムもよかったけれど、こちらはもう少しストレートアヘッドな演奏。

このアルバムでは、いわゆる典型的なトランペットによるジャズを楽しむことができる。

彼はあまり味が濃くないというか、破天荒な目を剥くような演奏をするというタイプではない。

逆に言えば、トランペットのストレードジャズというのは、かなりツウ向けの、難解な曲の多いアルバムなら、たくさんあるあるわけで、こういうアルバムを探すのは結構大変なのだ。

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Chris Botti と比べると、クリスのほうが、音色がコントロールされ、サウンドももう少しポップぽい色合い。

ライアン・カイザーは、ジャズらしさという点での味が濃いといえばわかりやすいだろう。

ジャズ喫茶でかかっている、ああいう雰囲気を楽しみたいなら迷わず、ライアン・カイザーだ。

このアルバムは、こうしたストレートなジャズにしては、非常にテンポの早いものは2曲くらいしかないので、聞きやすさという点からも、こういうジャンルにあまり馴染みのない人にはお勧めです。

 

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日記を書くことで得られるもの。

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忍耐力もその一つだろうが、やり方によっては自分の考え方の方向やベクトルがどうなのかを、自分で検証することができるツールとしても使うことができる。

これは他の手段では不可能なことではないだろうか。


あるテーマについて自分の考えを書いておく。
 
そして数ヵ月後に、そして数年後にと、何度も読み返してみる。

そうすることで、それが5年後でも通用する考え方だったのか、それともすでに時代を感じさせるものでしかなく、自分はまだ未熟だったのだということを、ストレートに知ることができるはずだ。

私がときどき日記に「考え方」をまとめるのは、それが何ものにも換えがたいものになるかもしれないからだ。

 

例を挙げてみよう。

次の青い色の部分は約12年前の2000年7月に自分のWEBへ掲載した内容だ。

 

 
IT革命

日本では、政治家を中心に、何だか急にIT革命って騒いでいるけれど、本当にわかっているのかな?

古いシステムの会社が圧倒的に大多数だから、切腹マネジメントという日本独特のシステムに組み込まれ、知らないうちに洗脳されていることが多いようだ。

何か問題があると、血眼になって誰に責任を取らせるかを探すことになる。

そうして自分は、安全なポジションを確保して、責任者に切腹をさせようという按配だ。

 

こうした終身雇用が基本の会社に勤めていると、あたりさわりなく、おとなしく年を取るという姿勢が身についてしまいがちなのはやむをえないことだろう。

ということは、新しい技術やシステムを理解しているようでいて、こうした新しい考え方へ切り替えるときに発生するジレンマで、なかなか理解できないという現象が起こりやすい。

そんな仕組みが出来上がっている中で新しい事をやってのけようとすると、ものすごいパワーが必要になる。

 

しかし廻りの顔色を伺ってばかりにエネルギーを使っていると、肝心なときに、電池切れということにもなりかねない。

アメリカでは、新しくて創業したばかりのまだ小さいけれど、フットワークの軽い会社は、「既成概念を持つ人から理解されにくい」というリスクを持っているかわりに、新しいサービスを供給し、それが受け入れられ、アメリカ経済の牽引役となっている。

新しい事を自由にできるカルチャーを持った会社がトレンドだから、有能な人や技術者は、どんどん面白いことをやる会社へ流出するのが普通だ。

 

リスクをとらず、安定した生活のために、好奇心やエキサイティングなことをすることなく、何十年も歯車の役割をこなして、人生を終えるのはつまらないと考える人がアメリカでは多い。

この日米の違いは、現実を見ると、頭で考えているより大きいのじゃないかなあと思う。

 

今までの考えではできっこないと思われていたことを、やり遂げるために、情報技術を使い成功した例が、ドットコムに代表される企業で、最近でこそ過熱の反動が来ているが、それだけ人々を熱狂させるだけの、新しいものを感じるからに違いない。

しかし、今までにない形態のものは、理解されにくいというリスクを持っていることも確かだ。

私のサイトも個人なのかそれとも、商用サイトなのかが分かりにくいという指摘を受けているが、「金品が関連したら商用サイトになる」という定義のもとでは、商用サイトということになるだろう。

しかし、費用を払うに値する情報を無料で提供するということは、商用サイトの定義に反することにもなる。

もともとこのサイトは、個人サイトから発展してきたものだから、個人色はどうしても残るだろう。

しかし、だからこそユニークで面白いという、多くの方からの感想をメールでいただいているのも事実で、ありがたい事だ。

何よりも大事なことは、今までの基準での定義がどうであるかということより、ユーザーにとって本当に利益のある良質なサービスを、どれだけ安価に提供できるかという問題なのではないだろうか?

間違いがあれば、経済原則が働き、支持されないことにつながって行くだろう。

単独では採算に合わなくとも、大きな全体像では採算に合うという昔からのビジネスモデルのバリエーションが非常に増えているのが、このIT革命の特徴でもある。

こうした、今までの考えでによる、一見ロジックの矛盾に見えるようなことは、ドットコム企業ではよく発生している。

 

たとえば、商用サイトのアマゾン・ドット・コムの例を見てみよう。

リーマンブラザーズのアナリストがアマゾンの財務状態を、脆弱で悪化していると指摘し、今年末までに資金が底をつくと予想している。

そのうえ、経営が非効率で小売業の何たるかが分かっていないと、さんざん叩かれている。

このモデルでは、大赤字で経営が破綻すると、以前から指摘され、株価こそ下落したが、株価の下落は何も、アマゾンに限ったことではない。

さらにアマゾンは、この7月8日には最新作の書籍を、何と4割引で発売すると発表し、発売前に28万冊の予約が殺到したが、1冊売るたびに損をするのに何故こういうことをするのか?

アマゾンのCEOジェフ・ベゾスはニューズウィークのインタビューで、こうした疑問に答えている。

この本単体では赤字だが、割引価格は維持できるし、個々の商品で必ずしも利益を出す必要はないと明言している。

このように、顧客にとっていいことは、株主にとって不利益になるというような、単純な発想は、そろそろ止めるべき時がきているのではないだろうか。

 

IT革命とは、本来パワフルでまた非常に魅力のあるものだ。

極端な例を上げれば、日本で無料のセミナーを開催することだってできる。

個人サイトによる完全無料システムだって可能だ。

それじゃ、どうやって採算を取るのか?

いとも簡単なことだ。従来の固定概念を取り去ることだ。

 

方法はいくつもある。

まあ、そうするとまた新たな疑惑が浮上するのか?(笑)

有益な情報を送っているならサービスは続くし、人々を困らせているだけなら、使用者は財布の紐を締めることで拒否するのが、市場原理だ。

ITの素晴らしさの一つは、それを利用する人たちが想像すらできないような、今までにない形態のサービスができる可能性を秘めているという点なのだ。

 

 
現在のアマゾンを見れば、その当時何をどう評価したのか、そして自分の「ものの見方や考え方」が果たしてどの程度のものだったのかという点を含め、恐ろしいほど明確にわかることになる。

また自分の例で言えば、当時からの私のWEBサイトが2006年時点で、一日15万ヒット、一ヶ月64万ページビュー以上という、トレードという「特殊なジャンルのサイト」としては考えられないアクセス数で多くの方が利用されている。
 
その理由は多分、メソッドのすべてが無料で公開されていることに加え、過去のデータもすべて検証したものも、毎日詳細に更新しているかだらだろうと思う。

 

 

200人以上の方が、プロトレーダーとして人生を変えるかのような画期的な体験をされたのは、考えたことを実際に実行したからだろう。

だが私にはその200人以上の方からは、何の金銭的な見返りはない。

そこにはビジネスではない何かが存在しているのかもしれないし、目に見えない何かが私を支えてくれているのかもしれない。

そう勝手に自分で考えるだけで、ゾクゾクするではないか!(笑)

 

 


話は脱線しかけたが、このように単なる日記も、こうした考え方で取り組めば、「検証する期間」を短くしたり、あるいは長めにとることで、自分の「ものの見方や考え方」という「眼力」を自分である程度、鍛えそしてコントロールできるようになるのではないだろうか?

もちろん物事によっては時代とともに変化する考え方もあるわけで、自分がどのテーマを取り上げて書くのかによって、たとえば、普遍的な考えとフレキシブルな考えの違い、あるいは自分が現在最も鍛えたい部分を特定するなど、さまざまなアプローチが可能になるはずだ。

時間によって磨き上げられた事実と、自分の推測や予測を含めた考えを、数年後に照合することで、自分の持っている考え方やものの見方をダイレクトにそしてストレートに直視することができるという快感は、何ものにも代えがたい。

 

 

真摯に時と向き合あうという姿勢には、少しばかりの勇気が必要だ。

だが「時間の経過」が返してくれる結果をストレートに受け入れる寛容さは、自分の懐をより大きくしてくれるはずだし、何よりも自分に対しての謙虚さと自信を、併せ持つことになるのではないだろうか。

おまけに、書くことに対しての楽しさと価値を、より深く知ることは、書くためのモチベーションのベースを、ギャップアップさせることにも繋がるからね。


 

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