書くことを習慣にする方法

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日記を毎日書いていると、書くというのはそれほど大変なことではないように思えてくる。

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というのは、自分を相対化し、他人の目で見るということの結果に過ぎないからだ。

   

つまり自分の目をハナから信じて、思ったことをそのままをストレートに書くのではなく、仮説を立て他人の目で対象となるものを見る、言い換えれば取材するという言い方に近いことになるかもしれない。

   

だから少し回り道をしなければならないことになる。

そのため、心や気持ちに「ゆとり」や「遊び」が欠落していると、「書き手」としてはちょいと厳しい事になる。

     

車もそうだが、自分の好きなことや興味のあることに対しては、ある程度「無駄遣い」?することにしている。

無駄という「ゆとり」がなくなると、視点から深みや面白みがなくなってしまうからだ。

     

経験則で言うと「その無駄」?は結局は自分のためとなり、最後には自分のもとへ何らかの形で戻ってくることになる。

取材と書くと大げさになるが、こうした行為は仮説を検証する過程で行われることになるのだが、ネットで調べたり文献を読んだり、もちろん自分で出向いて独自で調べることもある。

     

と書くとカッコいいが、蕎麦屋やレストランについての紹介などは、自分で出向いて独自で調べることに該当するわけだけどね。(笑)

    

 

NIKKEI NET にこういう記事があった。  

 

 
「働き過ぎ」で脳・心臓疾患、最多の330人を労災認定

働き過ぎが原因で脳内出血や心筋梗塞(こうそく)といった「脳・心臓疾患」になり、労災認定を受けた人は2005年度、過去最多の330人に上ったことが31日、厚生労働省の調査で分かった。

脳・心臓疾患のうち、過労死に至ったケースは157人だった。ストレスによるうつ病などの精神障害での認定も127人と高止まりしている。

脳・心臓疾患の認定者数は前年度から12%増え、これまで最も多かった02年度の317人を上回った。

脳・心臓疾患の請求者数も前年度比6.5%増の869人で過去最多となった。

厚労省は長時間労働が減らない一方で、働く環境に配慮する企業も増え、社員に労災請求を促すことが多くなったとみている。

内訳は脳疾患が210人、心臓疾患が120人で、特に脳疾患が増えた。病名別では、脳内出血(98人)が最も多く、次いでくも膜下出血(70人)、心筋梗塞(50人)、不整脈などによる突然死(48人)、脳梗塞(40人)の順だった。 (20:50)

      

さてこれを読んで何を感じるかだ。?

  

「働き過ぎ」へ駆り立てるのは、何らかのストレスを感じてのことだろう、という仮説を立てるわけだ。

結構アバウトだけどね。(笑)

     

雇用者側に対し自分の価値を売り込み、価値を認めてもらうため、自分の時間を提供する労働形態は、自分で満足できなくなるとというストレスを受けると、体を壊してまで働くことになる。

労災の人数は、氷山の水面上の部分で、水面下の大きさは想像を絶する大きさなのかもしれない。

    

運動をする時間を惜しんでまで働き続けると、使わない体の筋力は低下してゆく。

ちなみに仕事で歩いたり、通勤のための歩行に運動の効果は、あまりない。

    

そうした状態を何年も続け、やがて40歳も超えるようになると、大した段差もない場所で不意に蹟いたりすることになる。

最新の「人口動態統計」によれば、2003年の「転倒・転落」による死亡総計は6318人に達し、10854人という交通事故死者数に迫る勢いなのだ。

   

日本では一日30人弱が交通事故で死亡し、17人が転ぶか落ちるかで死亡しているのだが、驚くのはまだ早い。

自殺は3,2082人で、一日87人もが自らの命を絶っているのだ。

最も多い年代は働き盛りの40歳から50歳なのだが、人数が多すぎてニュースにもならないのだろう。

   

自殺の直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自分のの名誉を守る、あるいは責任を取る、というような倫理規範として自殺も含まれるが、これは他のアジア諸国やキューバでも見られる傾向だ。

TVCMの影響で、サラ金に手を出す40才台の激増は、こうした自殺と無関係ではないだろう。

自力で稼ぐことが困難になる生活不安と高齢化に伴う病苦の2つが高齢者の自殺率を高くする要因だが、日本は働き盛りの40歳から50歳の自殺率は米国の3倍もの高い数字となっている。

   

これは宗教とも密接に関わっているのではないだろうか?

とこれも仮説だ。しかも連発。(笑)

  

米国では一般的にキリスト教と呼ばれる、カトリックやプロテスタントの家庭が多い。

基本的には性悪説という、人間バレなければ悪いことをするが、神は見ているのだからという概念を叩き込まれる。

 

そのため、神と単独で結ばれたる関係を築きあげることを、欧米では「自立」と呼んでいる。

日本では「うちの子に限って」というような嘆きをよく耳にするが、キリスト教の性悪説では「うちの子だから危ない」と思って日ごろから対策をするわけだ。

   

だが日本では何か事件が起きるたびに「二度とこのような悲劇を繰り返しません」と事件後だけの安易な決意や誓い、場合によっては自殺によって責任の決着をつけ、マスコミも同調して一件落着となる。

だが悲劇は繰り返される。

   

人間は基本的に愚かであり、ましてや全員が同じように反省するわけではないわけだから、同じようなことが起きてしまうだろうと、具体的な対策をするなりの心構えをしておくべきなのだ。

自分のまわりでは悲劇は起きないという、無宗教がもたらすいわゆる平和ボケでは、予兆があったとしても、感じ取ることはできないはずだ。

    

この例のように、仮説を自分で立て、そして取材したり考えたりして導かれた結果は「書く」ことなしには完結しない。

だが、だからといってその仮説が正しいとは限らない。

  

あるときは時間がそれを証明するだろうし、あるときはそうして導き出した結論が違っていることもあるだろう。

だがプロの予測屋ではないのだから、それでもいいと思う。

  

大事なことは、ある物事を「さまざまな角度から見る」ことができるかどうかなのだから。

そうした経験をつむことで、その精度は上がり、やがて大きく「外れる」ことはなくなるかもしれない。

   

自ら時間を割き、会社という報酬を得るという狭い目的のための組織や場所から離れ、さまざまなものを見るという、カイシャの中から見ると一見無駄に見える行為によってのみ、仮説のための引き出しを増やすことができるのだ。

仕事による過労のため、けっして補充されることのない空っぽになったままの引き出しからは、想像力のかけらも生まれないだろう。

日本のCMやTV、映画の世界でつまらなさだけが、どんどん加速している背景には、こうした理由もあるのではないだろうか。

   

このように、「書く」というのは、自分を知るための終わりなき仮説の旅の記録なのだと思う。

だから「志」がある限りいつまでも続けることができるわけだ。

 

こうした幸せを、ワーカホリックという仕事中毒病になってまで引き換え手放すなんて、正気の沙汰ではないと思うのは私だけだろうか?

   

  

出典

  

2006年6月6日

  

 

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