2012年06月23日 のCoolに過ごそう

ビッチ度

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「女性のためのモテるためのセットアップ」を!

というリクエストをいただいた。

「モテるためのセットアップ」というタイトルで勝手なことを書いたが、まさかの事態。^^;

ちょっと買いかぶりすぎだとは思うけれど、女性からそう言われて黙っているわけにはゆかないのが、オトコのツライところ。(笑)

 

AlwaysTimeToEat.jpg

 

モテるといってまず、頭に閃くのは「いい女」「いい男」というベタだがわかりやすいキーワードだ。

何故モテるのか?

「いい女」だからと言ってしまえば見も蓋もなくなるわけだが、一口に「いい女」といっても個人差というか好みがあって人それぞれ。
 
 

ところで、ところ変われば品変わるというように、「いい女」の定義は、日米では少し傾向が違っているようだ。

日本人の女性は、多少のことは我慢して相手に尽くすというイメージに、女性自身も、また男性も期待している部分があると思う。

だから、女性自身も比較的控えめで、男性に尽くすというベクトルに向かって、知らず知らずのうちに進んでいるというケースが多くなるのではないだろうか。

だが果たして男性が、本当にそうした女性像を求めているかというと、それは大いに疑問だ。

 

 

むしろどちらかといえば、手応えのある、いってみれば少し「ビッチ度」の高い、女性の方がモテる確率は高いのではないだろうか。
 
「ビッチ度」のビッチとは、よく映画などで Son of a bitch 、カタカナで書くと「サラバビッチ」というようなフレーズを聞かれたことがあると思うが、かなり頻繁に使われるアレのこと。

ビッチを辞書で引くと、「めす犬・意地の悪い女・ふしだらな女・スケ・アバズレ・いやな女」などというように、一般的には悪い意味で使われるのが、一方で bitch kitty というように、「素晴らしい女、とてもいい女」という意味でも使われるのだ。

ニュアンスとして「洒落た、セクシーな」という意味合いを含んでいるといえばいいだろうか。

 


このように、「ビッチ度」は寿司のワサビのように、適量でピリっと効かせることによってマイナスを、大きなプラスへと逆転させることのできるアイテムなのだ。

これを適量使うとどうなるのか?

 

言葉での微妙な言い回しは難しいので、キーワードを並べてみると・・

男にしがみつかない、尽くさない、いいなりにはならない。

同性に対しても「合わせない」スタンスを表現できる。

他人の意見に対しての意見を、多少の傲慢さと共に持っている。

ユーモアのセンスを持っている。

 

ということになるだろうか。

 


自分が尽くすことで、相手にも応えて欲しいと言う気持ちが強過ぎると、ついつい相手に合わせてしまう。

「努力して相手のハートを射止める」ために、やれ手料理だ、チョコレートだと言って、最後に黒いランジェリーで男を追いかければ、一時、男は喜んで望むとおりになるかもしれない。

だがそのあとで、男は必ず去って行くものと、相場は決まっている。

その理由は、男は彼女の一生懸命な努力の理由に対して、次のような二つのシナリオを考えるからだ。

 

 

自分の気を引こうとしているのか?

男になら、誰にでもそうするのか?

 

 

一時の興奮が収まり、冷静さが回復するにつれて男たちの頭には、この2つの疑問が頭をもたげ始め、彼女の努力を素直に喜ぶ気持ちには、なれなくなってしまうのだ。

男性が女性に魅力を感じるのは、最初は容姿からだろう。

だが、すぐに魅力を感じる対象は「女性の態度」に移ってゆくもの。

だが女性が自信を持って振る舞えば、男というのは単純なもので、彼女の価値をいとも簡単に信じてしまうものなのだ。

と言い切っていいのか? > オレ(笑)

 


大事な点は「男性をその気にさせる」のではなく、欲望が満たされた後も、彼をその気にさせておけるかどうか?なのだ。

これがモテるとモテないの境界線になるのだと思う。

 

  

ルックスはさほど問題ではない。

もちろんいいに越したことはないが、本当にいい男というものは、外見にはそれほどこだわらないものだ。

美人で知性があっても振られる、または、美人なのに、似合った「素敵な恋人」がいない女性は「ごまん」といる。

「美人度」より大事なのは「ビッチ度」。

これが少ないと、男性の情熱の炎はすぐに消えてしまう、というか火がつきにくいのだ。

 

 

たとえばある男が、つきあっている女に「ちょっと考えさせてくれ」と切り出したとしよう。

ここで「ビッチ度」が不足していると「お願い行かないで」という方法へエントリーしてしまう。

だが「ビッチ度」を持っていれば、彼の荷造りを手伝うという行動に出るわけだ。

自分を大事にするなら、自分を必要としない相手に用はないのだから、追いすがったりはしない。

こうしたときでも、強さを失わない、それが何とも言えない「ビッチ度」の魅力なのだ。

そしてそれが、ひいては男に離れる気持ちを起こさせない方向へ働くのだ。

  

 

これは立場を逆転させれば、さらによくわかるだろう。

映画のヒーロー、たとえば 007 のジェームズ・ボンドは男だけれど、この「ビッチ度」をきちんと持っている。

日本のテレビドラマでは、ヒーローとなる主役がこの「ビッチ度」なしで勝負をして、脇役がビッチ度を持っているというケースが多く、それが多くの日本女性を勘違いさせている。

まあ、視聴率に媚びているディレクターに「ビッチ度」を持てと言う方が、無理なのかも知れない。

 

 

だがオトコの場合はこのようなビッチ度が過ぎると、モロ嫌われるため、リスクが高いアイテムなのだが、女性は少々強くても意外なことに嫌われる度合いが少ないのだ。

女は男に媚びを売る女を嫌う。

だが 「ビッチ度」が高い女性は同性からもモテるのだ。

それはともかく、男性にも「ビッチ」には見習うことがたくさんあるようだ。

 

フェイスブックは買いのゾーン

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上場後下げ止まり反転を始めたフィスブック。

20日移動平均線に必要な期間が過ぎたところ。

まさにハイローバンドギャッププレイの買いの位置に相当するゾーンだ

フェイスブックの日足チャート。

20120623FB-D.gif

黄色いマークの位置が出現した20日移動平均線。

移動平均線の並び順がアップトレンドを示している。

 

米国株事前スキャンリストの銘柄の中でも、FB(Facebook)のチャートが最も良い形だ。

20120623listD.gif

さてどこまで上がるだろうか。

自閉症の世界

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私の息子は自閉症のため、28才になっても1才の子供と同じかそれ以上の手間が必要で、これは多分彼が死ぬまで、いやそれよりも先に、私やカミサンが死ぬまで、こうした状況を続けなければならない。

こうした障害を持つことの大変さを、普通の子供を持っている親が、同じレベルで理解することなどいうことは、不可能なのだということは、障害児を持っている親なら、程度の違いはあれ、誰もが理解している。

だからこそ、その世界を知らないものが、何らかの理由で関わるときは、注意が必要だ。

普通だと、大したことはないと思われる、不注意によって受ける心理的な影響は、予想できないほど大きいと考えていいだろう。

 

息子の通っているデイケアの施設を、我々家族は通称「センター」と呼んでいる。

そこでは、様々な自立のための訓練をしたり、散歩に行ったり、バスや船に乗ったり、遠足へ出かけたりということを、スケジュールに沿って実施してくれる。

朝9時頃から夕方までの間、親の代わりに面倒を見てくれるありがたさは、障害児を持つ親になったからこそわかることなのだが、もちろんそれは、親の愛と税金とで賄われている。
 

autism.jpg

 

センターはまさに別世界。

動けない娘は、涎を流したまま車椅子に座り「うーうー」と声ならぬ声を上げている。

見かけはまるでオッサンだが、顎の下を撫でてくれと、人なつっこくすり寄ってくる。

このように、センターの中は、普段私たちの生活空間とは余りにもかけ離れている。

 

最近の懇談会でカミサンは、センターにいる間、水だけはしっかり飲ませてくれと念押ししたらしい。

普段からペットボトルの水を何本かバックパックに入れているのだが、どうも飲んでいる様子がないのだ。

だがセンター側では飲ませているというのだが、もしそうなら、帰ってからあんなに水を飲むわけがない。

 

だが昨日彼は帰宅してから、何度もトイレに行きたがり、夜は布団の上で2度も漏らしてしまった。

もちろん彼の布団とマットレスの間には、ゴミ袋を挟んである。

だが服やシーツを含めた選択の手間は増えるわけだ。

 

この出来事から、センターでは普段から水を十分に飲ませていないことがわかるのだが、だがだからといって、いわゆる状況証拠だけではどうにもならない。

日本では、こうしたデイケアセンターの人たちの給与水準は低く、しかも若い人が多いので、決められた「気遣い」しかできないのだろう。

東京や千葉など、多くのデイケアや宿泊できる日本のセンターはどこも同じようなもので、神戸でもそう大きな違いはない。

 

それに、どこへ行っても障害者本人がタバコを吸うケースをよく見かける。

ケアセンターの先生方も、喫煙所で一緒になってタバコを吸っている。

センター側はは室内ではなく、喫煙場所で吸わせるようにしているから、特に問題ないというスタンスだ。

 

障害者の喫煙をヤメさせる気配など全くなし。

障害者の親がタバコを吸うケースでは、子供が不憫なため、せめてタバコの楽しみだけでも・・という考え方をする人が少なくない。

健康はもちろんのこと、火に関連する事故のリスクは、障害がある分高くなるのにだ。

教育とは何なのだろうか、と改めて考えてしまう。

 

カミサンは、思い余って、どうしてタバコをやめさせようとしないのですか?と尋ねたらしい。

先生曰く、困ったように「どうすればいいのでしょうか」と問い返したらしい。

親ごさんに、やめるように話してみてはどうなんですか?

というと、「はあ・・」という心もない返事が帰ってきたという。

 

シアトルでも、先生方の給与水準は日本と同じように、他の公務員より低い。

だが、好きでこの仕事についている人の割合は非常に高く、最もうらやましいのは、しっかりしたスーパーバイザーが居るという点だ。

こうしたケアセンターで、タバコを吸わせるなどというのは論外のハナシなのだ。

こうした社会的弱者へのケアや教育システムの日米差は、体験した人でなければ想像持もつかないだろう。

 

最初、こうしたセンターを訪れたときのことは、今でも鮮明に覚えている。

センターを後にして、自分の生活している世界へ戻ったとき、この体験をどう受け止め、自分の頭の中で整理すればいいのかがわからず、狼狽してしまったのだ。

だがいくら考えても、今の私が、よく知っているとは言えないあの世界を、直接変えることなどできない相談だ。

 
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障害児を持つ親にとって、人生悪いことばかりではない、ということを実感するときがある。

苦難にぶつかったときというのは、どこかに大きなチャンスというドアが用意されているということでもあるわけだ。

ドアを開けるには、自分を含めラクになる考え方を工夫することだ。

 

最も効果的に、そしていますぐにでも変えることができるのは、まずは自分の生きている世界でのハナシだ。

彼にできないことを、私が代理として私の生きている世界で実行する。

健康な子供を持つ親が、こうした考え方に辿り着くチャンスは、万が一にもないだろう。

 

このように障害児を持つ親に対しても、神は平等にその分け前を与えてくれている。

そのことを実感できるという機会は、そうそう誰にでも訪れるというものではない、というのもまた現実なのだ。

自分の生きている世界で、毎日楽しく、そして有意義に、彼の分も含め精一杯過ごす。

 

この当たり前のことを、意識しながら生活をする、という意味を、言葉で説明するのは、難しい。

けれど「神は平等にだれにでも、きちんと分け前を与えてくれる」ということが、毎日実感できるのは、彼のおかげなのだ。

ただ、息子との二人分だから、ちょっと疲れるけどね。(笑)

 

サマー・サンバ

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初夏から夏にかけて、天気のいい朝になると無性に聴きたくなる曲がある。

ワルター・ワンダレイのサマー・サンバ。

Walter Wonderlay / Summer Samba.

オルガンによる、いわゆるインスツルメントのナンバー。

メドレー > スローなテンポの Rain から Summer Samba へ・・

Rain (Chuva) ~Summer Samba (Samba de Verao)

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リンク切れのためのバックアップ・リンク

サマー・サンバ 

Walter Wanderley - Beach Samba 

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ワルター・ワンダレイ(Walter Wanderley) 1931年5月12日 - 1986年9月4日)

ブラジルのレシフェ生まれのオルガニスト。

こちらでアルバム全曲を聴くことができる 1966年録音

好きな曲 Rain とか Beach Samba を含め3曲るので、手元に残しておきたいアルバムだ。

 

おまけ

 

Diana Krall - So Nice (Samba de Verao)

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