日記の効用

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「トレードで生活したいのですが、どうすればいいのでしょうか?」 という質問を、ときどき受けることがある。

答えは簡単。まず一日で終わるセミナーを受けてください。あるいはDVDを見てください。ということになるだろうか。

そしてそこから第一歩が始まるわけだが、他の仕事以上にまずはやってみないと分からない要素が大きいのだ。

 

 

WritingB.jpg

 

とにかくアクションをすぐ起こせる人は、何の仕事をしてもうまくゆくはず。

一日だけのセミナーでは、いわゆる止まっている車の運転席に座って、操作方法をマスターするまでを体験できるわけだが、基礎セミナーになると、最終日に一周コースを実際に走ってみるというところまでを体験することができる。

この体験の有無の違いはかなり大きいといっていいだろう。

人によっては、体験前と後とでは天と地ほどの違いがあるようだ。

  

こうした体験によって「これだったら何とかなりそうだ」となるか「難しくて大変だ」と思うかに分かれるわけだが、面白いと感じるかどうかは、長く続けるためには重要な要素となる。

私の場合、簡単で面白そうに思えたことに加え、これを仕事にできればどれだけいいだろうと、楽天的な皮算用をしたものだ。

興味が湧いたら、それを好きになるということは、トレードに限らず、どの仕事でも大事なことだから、そういう意味では自分には向いていたのかも知れない。

 

 
セミナーを受けに来る人は、たいがい儲かればプロに転向したいと考えているのだが、プロといっても実態は様々で、車でいえばレーサーになる人もいれば、タクシードライバーになる人もいる。

つまりそこで求められる要素がかなり違うわけで、レーサーを目指すなら、それなりの技術と努力が必要になり、タクシードライバーなら、とにかく長時間走る気力が必要になるというわけだ。

トレーダーの場合、レースといってもタイムトライアルであって、他人と競争するわけではない。

ある一定のタイムが成績というか利益に直結している、と考えればわかりやすいだろうか。

 

ライン(銘柄)の選択は大事で、その日のコンディションによってかなり違うため、これを間違えないことが先ず大事で、できるだけ短い時間でラインを見極めて、アクセルを全開にする必要がある。

この見極めに時間がかかりすぎて、アクセルを踏む位置(エントリー位置)が遅くなると、コースを飛び出して、ロスを出してしまうことになる。

またブレーキングの位置やガツンと思い切って踏むことも大事で、アクセルを踏む位置が遅くなると、ブレーキを踏む位置も相対的に遅れてしまうため、やはりロスに繋がってしまう。

 

 
こうして自分で速く走れるようになると、そのコツや方法を教える事も可能になるが、人が身につけたいと思えるような走りができないと、誰も教えて欲しいとは言ってこないわけだ。

そのためには、走り方を公開したうえで納得できるような解説をする必要があるわけで、そこでは、人に伝えるための能力が必要になる。

これは習う側にとってもかなり重要な能力だといえるだろう。

自分を分析し、それを客観的に記述して、相手に伝える事ができなければ、独力ですべてを解決しなければならなくなるのだ。

  

つまりこうした段階になると、書く能力というのはかなり重要になってくるわけだが、これは話す能力にも、ある程度比例することになる。

小説を書く人の場合、人と話すのが苦手というケースもあるだろうが、いわゆる実用書をわかりやすく書く人というのは、総じて人と話す場合でも、自分の思っていることや伝えたいことを相手に納得させる技術をも併せ持っているものだ。

トレードで一定の成績を出している人からのメールに共通しているのは、スタイルはそれぞれ違ってはいても、自分の伝えたいことがしっかりと書かれているという点だ。

このことは受講者用掲示板へ貼り付けてある、その人のトレードに関するチャートからも窺い知ることができる。

 

どのようなトレードなのかが、わかりやすく伝わるチャートには、エントリーや脱出の場所、それに使っているタイムフレームやガイドのラインなどの必要な情報がきちんと盛り込まれている。

まさに一目瞭然がチャートになったようなものだといえばいいだろうか。

逆に文章で長い補足があっても、問題点を見つけることが難しいものもあり、まさに人それぞれ。

こうした能力は学校の成績とは別物で、情熱、忍耐、失敗を含むさまざまな経験といったものによって熟成されることになる。

 

 
トレードの場合、ある段階からはトレードそのものの技術よりも、必要とする周りとのコミュニケーションのとり方や、自分のモチベーションを維持するために必要な人との関わり方が、その後の成果に大きく影響することが多い。

私の場合、そういうことに「どん欲」だった時期には、アメリカでトレーディングエキスポに参加したり、様々なセミナーを見て回ったり、多くのトレーダーと話をしたわけだが、決して堪能とは言えない英語であっても、知りたい伝えたいという思いさえ強ければ何とかなるものだ。

一人で部屋に閉じこもってああでもない、こうでもないと悶々とするより、優れたトレーダーとの世間話からの方が、遙かに多くのヒントを得たり役に立つことを知ることができるのだ。

 

トレーダーへのサービスとして毎日続けているネットエイドという文字によるガイドでも、どん欲にあれこれと質問をされる方は、やはりその後のトレードで、それなりの成果を出されていることからも、コミュニケーションを取る能力の重要性はかなり大きいと言えるだろう。

どの仕事でもこうしたことは、ある程度共通するはずで、トレード以外の仕事の方が人との関わりに関する比率は高いだろうから、よりこうした傾向は大きくなるかも知れない。

セミナーを受講後、自宅で受講時のメモを読んでも意味が分からないという笑い話のようなことが時々起こるのは、キーワードと理解レベルがマッチしていないためで、自分とのコミュニケーションでさえも、難しくなることがあるという典型的な例だ。

 

 
文章を書くときは、相手に過不足なく伝えることが大事で、ここを効率よく「いい案配」でできるようになれば、それは「アテにできる能力」となって、その後の人生にもよい影響を与えてくれることになる。

この「いい案配」というのは意外と難しく「過ぎたるは及ばざるが如し」で、過剰になると逆に読み手を遠ざけてしまう。

自分のインサイドとアウトサイドを繋ぐための架け橋として、言葉や文字をどう使えばいいのか?

その重要性は、自分が考えている以上に大きいと思って間違いないだろう。

 

というのは、その「橋」は言葉や文字の使い方によって、耐えられる負荷の大きさや、物事を旨く運ぶための効率までもが決まってしまううえ、時には信じられないところへも、橋を架けることができるからだ。

言葉はインパクトを持つ反面、消え去る宿命を持っているが、文字は証として残るため、不特定多数を相手に時間に縛られることのないコミュニケーションとしても、言葉よりも有利に働くことが多い。

一方自分の人と「なり」も容赦なく暴露されるため、時間をおいて読み直せば、自分を客観的に見つめることもできるだろう。

 

こうしたことを意識しながら日記や記録を書き続けるというのは、書く能力を鍛えるためには、かなり効果がある方法ではないだろうか。

解決や飛躍のきっかけやヒントは、意外なところにあるものだし、それは自分の「内」にあることが多いからね。

 

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