お盆雑感

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お盆の15日は終戦記念日。なので神戸市内の道はスカスカ。

0815Town.jpg

SONY α7R II + FE 24-240mm F3.5-6.3 OSS SEL24240 

クマチャンところからの帰りにパチリ。

  

調べてみると、日本政府がポツダム宣言受諾を英米に回答したのは8月14日。

「大東亜戦争終結ノ詔書」が書かれたのもこの日。

大本営が陸海軍へ停戦命令を出したのが8月16日。

「終戦日」の設定としてグローバルスタンダードになっているのは休戦協定が結ばれた日で多くの国は9月2日を「VJデイ」(対日戦争記念日)としている(旧ソ連、中国、モンゴルは9月3日*1)。

東南アジアの諸国も日本軍の武装解除の日、すなわち九月を終戦としている。

8月15日という日は、前日に録音された天皇による「終戦の詔書」朗読が日本国民向けてラジオ放送された日でしかないのだが・・

  

 

太平洋戦争は本当に避けることができなかったのか

1941年11月の時点で、米政府は「全面協定案」(「ハル・ノート」の原型)と「暫定協定案」という2つの提案のいずれかを日本に提示する検討を進めており、後者は日米双方の譲歩を前提とする事態打開の方策を列記した内容でした。しかし、11月26日の朝、陸軍長官スティムソンから、日本軍の輸送船団が上海を出発し、台湾南方を航行中であるとの誤った情報を知らされたルーズベルトは、「(中国での)休戦と撤兵の交渉をしている最中に、新たな軍事侵攻の準備に着手するとは、明らかな背信行為だ」と激怒して、日本に対する態度を一挙に硬化させました。

その結果、同日午後5時にハルが日本側代表へと手渡した文書は、相互譲歩を前提とする「暫定協定案」ではなく、日本に対する一方的な撤兵要求を書き連ねた「日米間総括的基礎提案」(いわゆる「ハル・ノート」)でした。ハルが日本側に提示した「ハル・ノート」の内容は、日本軍の中国からの撤兵、汪兆銘政権(南京政府)の否認、日独伊三国同盟の空文化に加えて、全ての国家の領土および主権の尊重、内政不干渉、通商上の機会均等、紛争の平和的解決などで、その多くは日本側がそれまで進めてきた対外政策をことごとく否定するものでした。

そのため、日本軍上層部は「わが国が決して受け入れられない条件ばかり突きつけてきた」と激しく反発し、対米開戦はもはや不可避だとの意見が大勢を占めました。しかし実際には、「ハル・ノート」はアメリカ政府から日本政府への正式な要求文書ではなく、単にハル国務長官の覚書に過ぎず、書類の冒頭には「一時的かつ拘束力なし」との文言が記されており、戦争を前提とした「最後通牒」ではありませんでした。

それゆえ、例えば「中国からの撤退」という項目には満洲国が含まれないとの解釈も可能であり、日本軍上層部の意向を無視して考えれば、この「ノート」を土台にして、さらに日米交渉を続けるという選択肢もあり得たはずでした。また、もし日本軍上層部に「今までの日中戦争の進め方は誤りだった」と反省する合理的な思考力があったなら、この「ハル・ノート」を逆に利用して、中国からの撤退の口実にするのと同時に、「我々も言うことを聞いたのだからアメリカ側も他の分野(石油禁輸の撤回など)で譲歩せよ」との要求を突きつけ、日中戦争終結と対米戦回避の両方を実現できたかもしれません。

けれども、日本政府と軍の上層部は、この期に及んでもなお、自国民に対する自分たちの面子の維持に固執し、過去数年間にわたって積み重ねてきた「対外政策の失敗」を認めることができませんでした。今までのやり方は失敗だったと認めてしまったなら、政府と軍指導部の威信は失墜し、主要幹部の責任問題へと発展してしまうからです。

 

 

終戦の日に行われたフェアウェル爆撃を始めて知った

アメリカ側からすれば長崎から3日経っても降伏しない状況にイラだったのだろう。その結果が14日夜から15日朝に掛けて行われたフェアウェル爆撃である。東京大空襲に匹敵する数のB29を使い、熊谷と伊勢崎、岩国、秋田県土崎を狙った。日本政府が降伏の意思を表明していれば、この爆撃は無かった。

第2次世界大戦の情報を知るにつれ腹立たしいのは当時の軍の上層部である。特に陸軍だ。当時、敵側の捕虜は「戦場に掛ける橋」(捕虜を鉄道建設に使った)で知られる大量投降を除き、問答無用で殺害していたという。当然の如く日本の軍人さんもアメリカ側の捕虜になったら惨殺されると思っていたらしい。だから最後まで戦わざるを得なかったワケ。

捕虜になった日本兵の"ほぼ"全てが、アメリカ軍の厚遇に驚いたと言う。日本軍として戦っていた時は食料も水も無し。ケガしても放置。なのに捕虜になった途端、食べ物はアメリカ軍を基準とした量が配布され(食べきれない量だったという)、大きいケガは後方に移送して治療してくれたそうな。殺されるなら最後まで戦うしか無い、と思っていた人が不憫です。

終戦の日は何でもいいから当時の日本軍の苦労を記録した本でも番組でもWebサイトでもいいから接することをすすめておきたい。というか、それこそが戦争で亡くなった先達の供養になると思う。Webなら「第二次世界大戦 餓死」などと検索してみると、当時の状況が最もクッキリ解ります。自衛隊を持つのはいい。けれど戦争放棄は素晴らしい憲法だ。

  

 

それはさておき、タイがあまりにも暑かったせいか、日本へ戻ってからは、ホント過ごしやすい。

温熱器のおかげで体温というか平熱は36度8分から37度。

 

高い気温と体温の差があまり無いから、暑く感じないのか?

ナゾであります。

  

とにかく温熱器のおかげで絶好調。

カミサンと母親は、明日からタイヘ休暇で出かけるのだが、変圧器も持たせたので、タイでも快適に過ごせるはず。

    

何しろ、オレの勧めでクマチャンも買ったくらいだからね。

足のしびれも、良くなっているようで何より。

  

で昨日の夜は、お盆なので当然のことながら、鰻。

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これは息子用の鰻丼。

いかりスーパーの1400円バージョンで2人分。 

関東風に、骨抜きをして蒸してあるので柔らかい。

さすが「いかり」。

   

0815unagi.jpg

オレの分はご飯なし。

 

SEL30M35・E 30mm F3.5 Macroはオフィスへ置いてあったので無精して撮ったら、この有様。(笑)

SONY α7R II

SIGMA マウントコンバーター MC-11 + EF24-70mm F2.8L II USM

   

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今の季節は豆腐そうめんが大活躍。だいぶ食べてからのショット。

   

先日たまにはいいかと、普通の「そうめん」を食べてみたが、余りおいしくなかった。

おまけに食べてしばらくしてから、カラダが「どよーん」と重かった。

 

カラダが、すっかり「豆腐そうめん」に馴れてしまっているのだろう。

メデタシメデタシ。

糖質制限のおかげで、集中力は最高。

   

糖質のモノを普通に食べていると、糖質が食べたくなる中毒状態から抜け出せず、ついつい食べてしまう。

なのでいつまでも、糖質依存症のままの食生活を続けざるを得なくなるわけです。

  

さて、今日からはお盆休みも終わって、いわゆる日常に戻ると思っていたら、会社によっては今週一杯休みのところもあるようなんですね。

ま、暑いときは、のんびりと暮らす。

 

これも一つの暑さ対策かもしれません。

   

    

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