サービスと感動

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もう一度行きたいかどうか。

という視点で考えれば、そのレストランの問題点や優れている点というのは「あからさま」にわかるものだ。

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たぶん店側としては最も知りたい点ではないだろうか。

  

客になって自分が訪れて見ればたわかる結構簡単なことを、なおざりにしているところというのは意外に多い。

「客の心」をつかむというのは、そう難しいことではないのだ。

  

まずは客へ「店の何をアピールしたいのか」が明確で、それが伝わっているかだ。

客側からいえば、客が考えているその店の「セールスポイント」に対して対価を払うことになるのだが、これが店側が考えている価値と違っていると、うまく行かなくなるというわけだ。

  

  

では客はどういうときに満足感を覚えるのだろうか?

  

  

店の経営者というのは、えてして忙しさにかまけ、自分が客になった素直な目で自分の店を客観的に見るということが、全くできていないか、その努力をハナからしていない例が多い。

経営者は店でウロウロしている時間があったら、客になって同業種のいわゆる「はやっている」店を「はしご」してみることだ。

  

飲食点が成功するための要素として、「味」「ハード、雰囲気」「サービス」の3点が挙げられる。

まず基本は味だ。

味さえよければ「ハード、雰囲気」「サービス」がよくなくても、一定の客が付くものなのだ。

  

だがその努力や情熱がないとなると、お金で買えるのは「ハード、雰囲気」だけということになってしまう。

だが、内装や話題性で客を呼べるのは3回までだという点を忘れてはならない。

   

日本の接客業で最も劣っているのが「サービス」だと思う。

こう書くと、アメリカ人のおおざっぱで無愛想さより、日本のキメ細やかな接客サービスの方が圧倒的に優れていると、反論される方もいらっしゃるだろう。

  

では接客サービスでの満足度というのは、いったいどういうものなのだろうか?

マクドナルドでは客は自分で運び、席を探し、食器を指定された場所へ戻さなければならない。

だが、だからといって客は「接客が不満」だと感じることはない。

  

時々従業員が「ありがとうございます」「恐れ入ります」と、トレイを受け取り戻し場に戻してくれると「ここは結構サービスがいいよな」とさえ思ってしまう。

不満が出ないのは、客がマクドナルドに料亭のようなサービスをハナから期待していないからだ。

セルフサービスを前提にしているため、自分でトレイを片づけるのは当たり前だと思っているところへ、「期待していなかったサービス」に出くわすと、思わず感動してしまうというというわけだ。

 

だが、普通のレストランでは、ウェイトレスが無愛想だったり注文に対しての返事などが期待度と少しでも異なると「不満」だと感じてしまう。

これは「事前の期待値に対する価格差」が埋められないことによって起こるわけだ。

マクドナルドの接客サービスというのは「注文したものがすぐに出てくる」ことに集約されている。

 

たとえばの例としてだが、もし普通のレストランで、期待以上の速さで料理が運ばれてきた場合、期待していなかったサービス」に出くわすことになり、思わず感動してしまうというわけだ。
 


たとえばファーストフードのコーヒーが1杯150円で、レストランや喫茶店でのコーヒーが500円だとすると、その差額350円の一部は、味かもしれないし椅子などの座り心地代金であったり、その残りがウェイトレスのサービスの代金ということになるだろう。

十分な資金を投入すれば「ハード、雰囲気」に含まれる椅子などの座り心地代金は対等に持ってゆけるだろう。

  

だがそこで、ウェイトレスのサービスが少しでも期待値と達しないと、それは不満として客に強く印象付けられてしまう。

では客が求めるウエートレスのサービスとは具体的にどういうものだろうか?

最もわかりやすいのは「呼んだらすぐに来る」という点だ。

  

近くに従業員がいるかどうかは気にしないで、「すみませ~ん」と普段の声の大きさで呼びかけ、手を上げ、視覚的にも注意を促し30秒間に普通の声量で1回呼び掛けをしてみればいい。

人は心理学的に3回以上同じことを繰り返すと嫌になるものなのだ。

「仏の顔も三度まで」という昔からのフレーズは何も根拠がないわけではないのだ。

 

3回以内に従業員が客のテーブルに来なければ、その店は飲食業としては失格なのだ。

そのためレストラン業では従業員教育が必要になり、優秀な従業員が辞めないために「常に夢を見続けさせることが必要」だとか「この人なら一緒にやってくれると思える上司になること」などといった難しいテーマを克服しなければならなくなるのだ。

トヨタなどの典型的な日本企業は「終身雇用に即した、長い経験がカイゼンにつながる!」と断言してきた背景には、こうした事情があるというわけだ。

  
 

アメリカのレストランは、こうした点をチップ制でカバーしている。

だが観光地によくあるあるチップの全額がウェイトレスに支払われないようなシステムの店だと、チップのもたらされるサービスの良さは相殺されてしまう。

 

たとえばクレジットカードで支払われた場合、そのカードのバーセンテージが引かれ、その残りから、バスボーイ(食器をかたづける人)、バーテンダー、また場合によってはマネージャーともチップを分けるというようなシステムの店も多いから、こうした店へ行った人は、チップ制度に不満を持つかもしれない。

だがウエートレスにとっては、チップの額は死活問題に直結するため、まともな店なら、用事があって手を上げたなるような状態になる前に、ウエートレスが気を利かせて、しかるべき手を打ってくれる。

 

「呼んだらすぐに来る」のではなく、手を上げる前に察してテーブルへやってくるのだ。

だがそのかわり、チップというのは料金の15%から20%が相場だから、もし10%のチップしか置なかったときなどは「サービスになにか問題がありましたか」と遠回しに聞かれることがあるくらいだ。

 
  

アメリカに住んだ経験をお持ちで、まともな店でのサービスを受けた方なら、そのサービスの質のあまりにの違いに舌を巻く経験をお持ちのはずだ。

日本は、おもてなしの文化で常に相手のことを考える国民性があるといわれているにもかかわらず、こうした制度の違いもあって、日本の飲食業というのは、オペレーションに知恵・労力に対してお金を使ってこなかったという歴史を持っている。

 

だが逆に言えば、サービスはどの店でも最も後回しにされているため、最も差別化の要因となりうる要素なのだ。

飲食店のスタッフと客関係は、本来50対50の関係だから、本来とてもパーソナルなものだ。

それにサービスというものは無形のものだから、常に数秒で勝負が決まってしまう。

 

本物のサービスを知らないために、そのレベルの高さに感動できない人が、どうやってそうした類の感動を人に与えることができるのだろうか?

チップがもたらすプロフェッショナルなサービスのグレードの高さに、時給と企業に対する忠誠心で対抗するにはどのような方法があるのか。

 

日本の飲食店の経営者が考えるべき点は、まだまだ多い。

 

 

出典

 

2006年5月12日

  

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