ネタがないときの対処法

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こういうメールをいただきました。

「自分の好きなもの、興味があることを取り上げていたら、すぐにネタがつきてしまいます。いつも同じことを書いていると飽きるので、たまには違ったものを書こうとするのですが、うまくいきません。

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たくさんの人に自分の日記を読んでもらうためには、流行っていることや話題になっていることを取り上げるべきでしょうか。たとえばボジョレヌーボーをネタに書けといわれても、スラスラと書くことができないのです。

書けないからと諦めるのではなく、資料を集めたりして何とか書くべきなのでしょうか。いざ書こうとすると、すぐに書けるようなネタがないのです。日記を書く姿勢としてどうすればいいのかヒントがあれば教えてください。」

   

同じことばかりでは読む人が飽きるだろう、違うものを書こうと考えたということは、客観的な見方をしようという、書くことを上達させるための大きな一歩を踏み出されたということになります。

主観的、客観的をわかりやすくいえば、自分が他人をどう見るかという目線が主観であり、客観的というのは、周りが自分をどう見るかということです。

   

日記が客観的な表現ではなく、主観的であっても、表現したことに対しては、日記ではコメントという形で周りから反応が返ってくるはずです。

コメント一つ一つが自分の主観に対する、一つの答えなのだと考えればわかりやすいでしょう。

   

こうしたことを認識したうえで、主観的なものを再び投げかけるという方法で日記を書くという方法があります。

これを繰り返すことで、主観と客観とのギャップが少ない見方ができるようになり、それが文章に反映されることで、文章の質が向上してゆくわけです。

    

自分の好きなことだけにこだわり、より多くの文章を書くということを考えなければ、限界にぶつかったり悩んだりすることはないはずです。

文を書くというのは、その人が持っている情報をどのように料理し、どのように盛りつけるのか、ということなのです。

ですから、同じことをテーマににしても、料理の方法や盛りつけ方で面白い日記と、面白くないものに分かれることになります。

  

ネットでは、簡単にコピーペーストできるため、同じようなテーマや情報がどんどん増え、話題が「かぶる」ことが多くなります。

今旬の話題といえば「ミシュラン東京」ネタだと思いますが、行きつけの美味しい店という自分なりのオリジナルミシュランを持っている人は、こうした本に頼る必要はないわけです。

日記も同じ事で、だからこそ大事になるのは、おいしさのわかる味覚であり、それをもとにして独自の味付ができる料理人の腕なのです。

  

他人の情報を集め、編集でいくらセンスよくまとめても、独自の味付がなければ、どこへ行っても同じ味のするファーストフードと同じことになります。

その人の体験というフィルターを通り、無意識に働く意志によって出てきた言葉が、心を揺さぶるのです。

  

こうしたことができるようになると、身の回りで起こったあらゆることをネタにすることができます。

いつでも一つや二つ書くことが浮かぶはずで、ましてや、毎日自由に生活をしていれば、書きたいことが湧き出てくるはずなのです。

  

そのためには、本当に「自由」である必要があります。

組織に拘束されることなく「自由」に生きている人なら、多くの人がやりたくてもできない「自由な生活」の中で生きてきた年齢分の体験や、感じたことだけを素材に書けるはずなのです。

  

時間がないから書けないというのは、誰かに自由な時間を拘束されているか、それができないような環境に自らを縛り付けているかのどちらかなのです。

組織に属していても、自由になる方法はあります。

  

精神状態も自由で、時間も自由になれば、文章を推敲して、よりブラッシュアップすることができるはずです。

そうしたプロセスを繰り返すことで、自分だけの新しい文章としての味が加わり、読み手が「美味しい」と感じる文章になるというわけです。

こうした方法で書くことができれば、資料などを躍起になって集める必要はなくなります。

  

  

もう一つの方法は、自分の得意な分野で書き続けることです。

ほとんどの人は、人より詳しいという自信を持っている何らかの「ある特定の分野」をお持ちのはずです。

ですから得意分野である「ある特定の分野」について書く方を選択することになります。

 

いわゆる知識の蓄積で読ませようとするわけです。

ですが、知識というのは量の競争という勝負になるため、日本一や世界一を争うレベルにならないと面白くないものなのです。

特に日本のテレビはこうした方向で、制作費を使って毎日大量の知識を垂れ流しています。

  

ですから、それを見ていると思われる大多数の人は、こうした方向性の文章を読んでも、それほど面白いとは思わなくなってしまっているのです。

  

何より書いている本人が、面白いと思って書いていない場合、それが文章を通じて読む人に伝わることになり、最初だけは勢いがあるのだけれど、何となく尻切れトンボになっている、という日記になっていたりするわけです。

自分の好きなもの、興味があることを取り上げていたら、すぐにネタがつきてしまうというのは、表層的な上っ面を見て書いているためで、自分の内面と向き合って書くということをしていないからです。

  

テレビで垂れ流されている多くの番組は、視聴者に媚びて視聴率を上げることを目的にして製作されています。

当然予算があるため、一定の範囲で足切りされることになり、それが中身の薄く面白くない印象へと繋がっているのです。

映画でもそうですが、制作者自身が、本当にやりたいことがあり、自身の内面と向き合って製作された作品というのは、誰が見ても面白いと感じるものなのです。

  

このように、本来本当に自分の好きなことであれば、文章の場合、無尽蔵に書けるはずなのです。

私は自分の好きなトレードに関することを自分のサイトで、毎日欠かさずここで書く量の何倍も書いていますが、それでも書くことに事欠くことはありません。

そうなると、流行っていることやニュースになっていることをテーマに書かなくても、困ることはなくなります。

 

つまり最も簡単なのは、自分の好きなことを書くことなのですが、話題になっていることや、みんなが関心を持っていることを使いたいのなら、そのきっかけとして使うことです。

自分の好きなことを書こうが、周りのウケを狙おうが、きっかけは何であれ、大事なことは、最終的に料理され盛りつけられたものが、そこでしか食べられないおいしいものになっているかどうかです。

  

リピーターの多い料理店へは、美味しいからこそ、一度食べた人は何度でも足を運ぶのです。

料理されたものが自分自身の体験をベースに書くことを続けていないと、煮詰まることになり、いずれ書くことがなくなるという事態に遭遇することになります。

  

煮詰まってまずくなった料理ではなく、フレッシュな味付けの料理を出せるかどうかは、本当に美味しい料理を食べ、自分の味覚を研ぎ澄ませているかどうかに、かかっているのです。

  

  

出典

2007年11月24日

 

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